【前編】漁業の町・長崎市外海、変わってゆく伝統食の姿。
撮影・青木和義
海に出られるときは漁へ、出られないときは畑へ。
長崎県は全体が大きな半島で、さらに無数の島がある。山がちなところも含めて、日本列島のミニチュアのような地形だ。実は海岸線の総延長が日本で一番、長い県でもある。
漁業が盛んで、2014年の海面漁業漁獲量は北海道に次いで全国2位。そんな長崎県の漁師町の一つ、長崎市の外海(そとめ)地区を訪れた。山から急傾斜して海へ落ち込む断崖が続く、男性的な景観の土地だ。
クロワッサンが創刊された40年前頃は、長崎の市街地まで車で2時間がかりだったと外海の漁師、濱口清巳さんは振り返る。現在は道路が整備されて、1時間もかからない。
「漁で魚の多いときは自分で長崎の魚市場まで車で運んだよ。そのときは儲かったけど、今は魚がおらん」
一昨年から水揚げが減り、船の維持費や燃料費、エサ代などを差し引くと儲からなくなった。漁師をやめる家も増えているという。若い人は都会へ出て行く。2001年に閉山した炭鉱に当時2500人の従業員がいたが、その人たちも多くは去った。
「昔から海で獲れたもの、山で採れたものを工夫して食べてきたから、今も何とかなるけどね」(濱口さん)
――米ん飯や、正月か盆か、親の年忌か嫁入りか――と地元の唄にもあるように、明治・大正・昭和の初めごろまで米を節約し、麦飯や芋を食べ継いできた。全国的に白いごはんが当たり前になったのは戦後の高度成長期からというが、それは外海も同じ。さつま芋を切り干しにした伝統食カンコロは主食から間食に変わっていく。
交通が不便だった外海は江戸時代を通じて、いわゆる隠れキリシタンが多く住む土地だった。
遠藤周作の長編小説『沈黙』がマーティン・スコセッシ監督によって映画化されて、今年1月に封切られたが、舞台になっている場所がここ。
映画で村人が何か硬そうなものをかじって食べるシーンがあるけれど、あれもカンコロではないか。
当時の人は手漕ぎの小舟でイワシなどを獲っていた。漁法が発達した今は手漕ぎではないが、沖に向かう船や戻る船を見ると大小の違いはあれど、ボートで漁をしている。
「夜に漁に出て昼に戻る漁師さんが多いけど、日帰りだと燃料を食うから私は島陰に碇を下ろして寝泊まりする船を作った。昼に出て、夜は炊飯器でごはんを炊いて釣った魚を食べたりしてね。楽しいよ。夜焚きで漁をして昼に帰ってくる。だから港にある船が他より少し立派でしょう」
という濱口さんも、一人で漁に出て一人で水揚げする。天候を見て、漁に出るも出ないも個人の裁量だ。
「水揚げした魚はほとんど外海の人が食べますよ。このへんの人は肉よりやっぱり活魚、鮮魚ですね」
と、漁協職員の浜崎隆さん。都会ではだんだん魚を食べなくなってきているが、漁師の町は違う。白いごはんと魚、漬物、味噌汁というスタイルが続いている。尾頭つきに白いごはんは昔の人が憧れたごちそう。
都会の食卓は洋風化が進んで和食のスタイルが崩れてきている。高齢化や温暖化の影響で、外海にもいずれ変化が訪れるかもしれないが、今は豊かな食の遺産が保たれている。
カンコロ餅は外海の名物ね。よそでは食べられんよ
漁師の濱口清巳さん(80)の家でコタツにあたると、妻のミツエさん(77)がカンコロ餅を焼いて出してくれた。
「おいしかよ、食べて」
清巳さんも勧めてくれる。自分の畑のさつま芋でお正月のために作ったカンコロ餅。もうこれで最後だという。「猪がどんどん増えて、畑に網を張っても芋を食べてしまうから、うちも芋作りやめたんです。カンコロも、子どものおやつ用に残してある分でおしまい」
「金にならん下魚はうちで食う。湯引きはフグより美味」
昔は小舟でイワシを獲っていたが、昭和に漁法が進歩した。
「夜焚きでイサキでもアジでも漁協で扱いきれんほど釣れて、その頃は漁師がずいぶん儲かったけど、今はもうね。イサキもアジもおらん。私はカサゴと水イカを釣るようにしとるけど、平成27年からイカが獲れん。カサゴも減ったよ」
どうして減ったのか尋ねると、「温暖化だろうね」即答してウツボを焼いてくれる。「タコをエサにしてウツボを釣ると近所の人がミカンと交換してくれる。見かけは悪いけど湯引きしたらフグよりうまいよ。食べて」
「今年は大根が豊作で。いろいろな食べ方をします」
軒先で切り干し大根はよく見るけれど、丸干し大根は珍しい。
「あれはね、特別に太い大根ばかり選んで丸干しにして、細くなったのを味噌漬けにするんですよ」
とミツエさん。たくあんになるのかと思ったと話したら、
「たくあんの大根は干しませんね。生大根を使います。4日か5日ぐらい塩で重しをして水を出してから、砂糖と酢と、自然に生えた唐辛子、ゆず、ウコンを入れます。お金をあまりかけないで、海の幸も山の幸も手間かけて食べます」
と、きゅうりの漬物を出して、
「これも食べてください」
『クロワッサン』946号より