『贈り物の本』牟田都子・編──様ざまな味わいのクッキー缶のような、牟田さんからの贈り物
文・植本一子
選者である牟田さんは校正者で、以前わたしも出版社から出した本でお仕事をご一緒したことがあった。その頃から顔馴染みではあったけれど、わたしが出す本はだいたい目を通してくださっているようで、時折トークイベントにもお越しになる。ある日、イベントが終わっても会場にポツンと残り続けてくださっていた。
人がはけるとおもむろに近づいてきて、小さな声で、実はお仕事のお願いがあって……と寄稿の依頼をされたのだった。聞けば、こうして書いてもらいたい人に直接声をかけているところだという。どんなラインナップになるのか楽しみで、でも牟田さんが書き手として選んでくれたことがなによりうれしく、同時に少しのプレッシャーもあった。
わたしにとって書く仕事は、どんなものでも少なからず緊張感が伴う。けれどわざわざこうしてお願いに来られたことや、校正の仕事を通して文章を読み続け、また書き手でもある牟田さんの期待に添えられるか、ということも重みのあるものだった。
そして贈り物についてのエッセイが37篇まとまった本が出来上がった。作家はもちろん、詩人、ミュージシャン、俳優、漫画家など、牟田さんが今読みたい、と思う人たちが一堂に集められていると思うと、自分の名前もそこにあることに胸を張りたくなる。
リボンがかけられたように見える装丁の中に、エッセイがきっちりと並べられている。それはまるでバラエティ豊かなクッキー缶の様相で、それぞれの味わいが楽しめる、贈ってうれしい一冊になっている。
このエッセイを書いて印象に残ったことがあった。それは原稿に対しての赤字がひとつもなかったこと。原稿には校正者や編集者によって、誤字脱字はもちろん、疑問や提案など、こうしてはどうですか?という赤字が入る。今回の本は牟田さんの監修であり、ひときわ丁寧な方だから、ご自身で校正をされるのだろうと思っていた。それが、わたしの原稿には赤字が一切なく、まっさらな状態で戻ってきたのだ。何かの間違いかと思い、やりとりをしていた担当の編集者さんに確認をしたくらいだ。
原稿にはだいたい赤字が入る。誤字脱字の間違いの指摘はありがたく、ファクトチェックや言い換えの提案など、いろいろなパターンがあるけれど、わたしはいつもそれらを受け入れる。原稿がよくなるのであれば、と思うからだ。でも、こうして赤字のない原稿というのを目の当たりにすると、自分がそのまま受け入れられたように感じられる、初めての不思議な感覚でもあった。
後日牟田さんに直接聞いたところ、誤字脱字はもちろん赤入れしたものの、文章に関しては著者の個性を活かす方向で考えた、とのこと。
37人の個性が消えることなく、それぞれがばらばらのままに持ち寄ったものを、牟田さんがこうして一冊の本に編んでくれたのだと思うと、それこそが贈り物で、思いがけず素敵なお返しをもらったように感じる。
『クロワッサン』1160号より
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