『どうかしてました』著者・豊﨑由美さんインタビュー「驚きを本に求める姿勢は変わらない」
撮影・黒川ひろみ 文・堀越和幸
人気書評家の豊﨑由美さんが初のエッセイ集を出した。
「だいぶ前からある編集者さんにエッセイを出しませんかと言われてはいたのですが、自分はライター。いつも“我”を消しながら原稿を書いているので無理かなと」
それが、出版業界紙「新文化」で、自分の来し方のエピソードに触れながら展開するエッセイ書評の連載が始まるようになって、
「書いているうちに私も慣れてきて、その連載がだいぶ溜まってきたのでそれをまとめた一冊なら、ということで刊行に至りました」
多動的で怪我が絶えなかった子ども時代、サブカルと競馬にのめり込み超貧乏だった青春時代、お風呂が嫌いで、耳アカや足の踵の皮を溜める奇癖があって……と、思わず口をあんぐり開けてしまう赤裸々な記述に、読んだ人からはよく思い切りましたね、と声をかけられたそうだが、
「私にとっては恥ずかしい話をして笑ってもらうほうがむしろラクなんですよ。逆に感動的な話で、エモい気分になるのは苦手なんです」
書評家による文学賞を創設したい
幼少の頃はグリム童話が好きだった。小学生になるとケストナーやリンドグレーンなど海外児童文学を貪り読んだ。
中学になるとほとんどの生徒が透明の下敷きにアイドルの写真を入れていたのに、豊﨑さんは太宰治の写真を挟んだ。高校になると筒井康隆、横溝正史、大江健三郎、高橋和巳、そして大学では文芸誌やサンリオSF文庫でポストモダン小説やラテンアメリカ文学の世界に夢中になった。
「と振り返るとさぞや読書家だったと思われそうですが、そんなことはない。当時の学生はみんなそれくらい本を読んでいたんですよ。スマホもない時代ですから」
出版の仕事がしたくて大学を卒業すると編プロに就職した。その時の仕事の依頼を通じて、評論家の川本三郎さんの知遇を得た。
「トヨ坊、トヨ坊、と可愛がってくれて、フリーライターになるきっかけを作ってもらいました」
そして独立を果たした豊﨑さんは、やがて女性誌に書評の連載を任されることになる。国内だけでなく、海外文学にも目配りの利いた選書は当時新鮮だった。
「海外の小説には必ず“驚き”がある。その驚きを本に求める姿勢は小さな頃から変わりません」
書評という仕事は読者に与える影響がなかなかわからない、そんな思いもかつてはあったが……。
「最近はSNSでそれがわかる。私の紹介を読んで本を買った、という声を聞くと本当にうれしい」
この道30年超の豊﨑さんには何とかして叶えたい悲願がある。
「書評家や批評家だけで選ぶ文学賞を創設したい。既存の文学賞とは違った本に光が当てられるので」
最近はある原稿に自分の墓碑銘について書く機会があった。
「“本に生かされ、本に殺された”。これが私の墓碑銘です」
豊﨑さんの口から聞かされるこの言葉は重さが違う。
『クロワッサン』1136号より
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