記録で振り返る母の介護は、苦労すらもすべて思い出にーー山田宗宏さん「母と僕をつないだ料理」第3回
撮影・井手勇貴 構成&文・殿井悠子
母親の介護のため、東京から実家がある淡路島に拠点を移した山田宗宏さん。母親である素枝子(そえこ)さんは認知症を患い、日を追って症状が進んでいった。
最初はちょっとした物忘れから始まり、同居して5年後にはトイレの仕方がわからなくなった。そんな日常の蓄積から、山田さんはストレスで胃潰瘍に。
その様子を心配した担当ケアマネジャーさんが慌てて介護施設を探し、素枝子さんはまず自宅から老健へ、その後、介護付き老人ホームへと入居。そして約9カ月後に、素枝子さんは静かに息を引き取った。
「永遠に続くように感じた日常も、振り返れば、あっという間の5年間でした。変わりゆく母の症状をいったんは受け止めて、その都度、介護の本や映画にも触れ、こんな感じでいいんだよねって確認しながら。一人で抱え込まないように気をつけていたけれど、体を壊し、最期まで自宅で介護を続けられなかった。それだけが心残りです」
山田さんが素枝子さんの介護をしながらやってきたことは、素枝子さんのために毎日料理を作ること、その料理と家を訪れてくれた人たちの記録、合間に絵を描くこと。
「とくに料理は、淡路島で採れた地のもの、季節のものを使って、五感をフル稼働。体にもいいし、母にも喜んでもらえるし、創作的で癒やしの時間でもありました」
素枝子さん亡き今は、両親が商売していた店をアトリエ兼ギャラリーに改装中だ。
「この辺りは昔、個人商店が連なる賑やかな商店街で、島の中心地でした。今後はこの場所を、人に貸したり、自分で使ったりして、いろいろなことを発信していきたい。例えば、歌やダンスを披露してもいいし、母の介護を通して再開したり築いたりした人脈や島の特性を活かして、面白いことができたらいいですね」
介護をきっかけに始めた二拠点暮らし。そのなかで気づいた魅力あるものや人脈。山田さんはそうした財産を、また別の形で活かしていきたいと考えている。
気がつけば、春夏秋冬、淡路島で暮らす日々が愛おしく感じるようになっていた。山田さんは、まずはこの春に東京のギャラリーで、素枝子さんと過ごした淡路島での日々の思い出を記録した展示会を開催する。
『クロワッサン』1136号より
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