馬田草織さんの一歩踏み出す〝決断〟の価値。「身軽にシフトチェンジ!心地よい生き方」
イラストレーション・北林みなみ
気づいたら、ポルトガル料理研究家に なっていた件。
お仕事はと聞かれて「文筆家で編集者でポルトガル料理研究家です」と答えると、大抵は困惑される。半世紀ほど生きてきて渋滞気味の肩書き。狙ったわけではないので自分でも上手く説明できない。
プライベートでは結婚し、娘を授かり、離婚もした。こちらは狙ったり、狙わなかったり。ということで、現在親業も遂行中である。思春期娘と更年期母の乗る船はホルモン大航海時代の真っ只中でもあり、なかなかに香ばしい日々を送っている。
このレアキャラ的あり様が面白かったのか、クロワッサン編集部からエッセイの依頼をいただいた。テーマはライフシフト。あなたの人生どうなってるの、ということだろう。ほんとそれな、である。改めて、自分の人生の転換点について考えてみた。てか、なんでこうなったんだろう、私。
計画性ってなに。初期衝動のままに動いた30代。
35歳の夏、10年勤めた出版社を辞めて独立し、フリーランスの食の編集者兼ライターになった。要はなんでもやりますの人だ。もっといろんな人や場所を取材したい。不安よりも、外への好奇心が優って会社を飛び出した。だが、会社の後ろ盾がなくなったら一瞬で心細くなり(そりゃそうだ)、これまで以上にがむしゃらに働くこととなった。
ちょうどその頃、フリーランスの大先輩に「フリーでやるなら自分の名前で1冊本を書いた方がいい」と言われ、テーマを考えていた。ふと、かつて旅したポルトガルを思い出した。印象は地味だが、パンやチーズやワインなど、生活の基本となる食べ物が安くてとてもおいしかった。在京のポルトガル大使館にリサーチに行き、1冊の本に出会った。厚さ3センチ近くもある図鑑のような料理本だ。これが運命だった。著者はポルトガル中から何千という郷土料理のレシピを集め、20年かけて試作し、800ほどのレシピに絞ったという。初めて見る魅力的な料理の数々に仰天し、すぐ食の専門誌に売り込んで取材に出かけた。その仕事をきっかけにあっという間に夢中になり、やがてカメラ片手に1ヶ月間、ポルトガル各地を取材しながら旅して回った。この国の食文化を本にしたい。初期衝動のなせる技だった。
ルシア姉さん曰く、「で、サヨーリはなにが大事なの?」
その旅先で、ルシアという女性シェフに出会った。北部の海沿いの田舎町で、夫のルイスと郷土料理店を営みながら小学生の娘と料理学校に通う息子を育てていた彼女は、私から見れば人生に迷いのない大先輩。
35歳の私。当時は悩みも抱えていた。自分はこの先子どもを持つのだろうか。もし持っても、この仕事を続けられるのだろうか。結婚相手とは出産リミットを見据えて話し合うべき時期でもあった。でも話は進まない。自分が子どもが欲しいのかすら分からない。
ルシアに朝から晩まで密着し料理を教わりつつ、休憩時間に近くのカフェでする雑談が楽しかった。たわいもない話から、いつの間にか人生を相談していた。産んでも働き続けられるか心配。フリーとして仕事も形にしたいし。いま、どうしていいか分からない。本音だった。するとルシアが言った「サヨーリは、なにが大事なの」。いまは仕事と家族、かな。するとこう返ってきた。「仕事はあなたの人生のメインじゃない。メインは人間、家族だよ。あと友達」。そしてこうも言われた。「帰ったらちゃんとあなたの夫と話し合った方がいい。話し合いを怖がらないで」。実に率直すぎるアドバイスの数々だったが、思考停止気味の自分にはパンチのある福音だった。ポルトガルの田舎町のカフェで、悟りが開けたようだった。
それからは、自分はなにが大事なのか、をよく自問してきた。だからといってめでたしめでたしにはならないのが人生だが、結果的に自分の下してきた決断がいまの自分を形作っている。イレギュラーで面白い人生。自分では、結構気に入っている。
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