馬田草織さんの一歩踏み出す〝決断〟の価値。「身軽にシフトチェンジ!心地よい生き方」
イラストレーション・北林みなみ
不安にかまけて心からの喜びを逃したくない。
私の場合、最も悩んだ決断は離婚についてだった。結婚を続けるべきか、離婚するべきか。
当時は生まれてまもない乳児を育てていて、できれば環境を変えたくなかった。乳児を生かしておくのに精一杯で、それどころではなかったのだ。でも、いま決めないと、この先も決断できない予感がした。すでに夫婦というユニットは機能を失っていることに気がつきながらも、自分でそれを認めたくなかったのかもしれない。それまでの暮らしという愛着から、離れたくなかったのかもしれない。
でも、私や娘のこれからの人生を最優先で考えたとき、どんな環境で家庭を作っていきたいのかを考えたとき、これはいちから作り直さねば、と思ったのだ。自分の人生を。
そして未知の暮らしがはじまった。不安しかなかったが、一方で、思い切った決断で新しい生き方を手にしたことで、心は案外澄んでいた。それ以来、自分はなにが大事なのかを自問し、自分や家族を楽しませるために必要なことだけを考え、選び、実行した。そうすることで、不安に意識を向けないようにしていた。見えない不安や恐れに頭の中を支配させてたまるか。いまある確かな喜びや楽しみという実感こそが、生きている証だから。
決断とは意思確認。 ふたつにひとつを選ぶことではないらしい。
決断には、いろんな場面と種類がある。
転職、独立、結婚、離婚、子どもを持つ、持たない、家を買う、売る、知らない土地に住む、誰かと暮らす、ひとりで暮らす。
決断とは、目の前にある選択肢のどちらかを選ぶ行為のように思えるけれど、少し経ってみるとその決断は、自分を作り上げる工程の一部分だったことに気づく。
たとえばそれは、彫刻家が山から運んできた生木や裸石を、のみで少しづつ削りだすイメージ。あちらをかんかん、こちらをこんこん、何度も決断と実行を繰り返すことで、自分が求めている暮らしや生き方の姿が次第に露わになってくる。
決断は、自分の意思確認でもあるのだ。ときには勢いよくばっさりと決断し、削る。その瞬間は、しまった、大きく削りすぎたかもと焦る。でも少し経てばその決断は、のちのために必要だったのだと納得する。そんなときは、勇気を振りしぼって心を決めた自分を褒めたくなる。
そこまで大きな決断じゃなくても、暮らしの中に決断はたくさんある。
明日の会食に何を着るか。久しぶりに会う人に手土産をどうするか。いや、そもそもその前に、今日の朝ごはんは、昼ごはんは、夕ごはんはどうする。今晩どの本を読むか。どんなドラマを見るか、誰の音楽を聞くか。お風呂に入れる入浴剤はどれ、新しいシャンプーはなににしよう。化粧水は、ボディクリームはなにを使おう。
生きている限り、決断は続く。それならやっぱり、自分が心地いい方を選びたい。
不安に引きずられずに決断を重ねられる勇気があれば、人生はきっと楽しくなる。
ひとり黙々と、なにかを作り出したり。
家族やほかの誰かや生きるなにかをケアしたり。
同じ趣味を持つ人同士で集ったり。
人にはそれぞれ自分が本当にやりたいことがあり、心地よいと思うものは、個々に違う。
これまで好きだったことに、ある日情熱が感じられなくなったりもする。でもそれは、チャンスなのかもしれない。新しいことに挑戦することで、思わぬ出会いや気づきと巡り会えることがある。
現実は、私たちの想像を軽々と超えてくることが多い。まだ知らぬ喜びに触れてみたかったら、思い切って新しい方向に舵を切るのも悪くない。
心から楽しいと思える瞬間を何度実感できたか、どれだけ心が温かくなったか。それこそが本当の豊かさだと思う。そのための決断は、何度でも重ねたい。かんかん、こんこんと削っていくうちに、いつか自分が求めている暮らしや生き方という創作物が、形作られてくるように思う。
不安に引きずられずに決断を重ねられる勇気があれば、人生はきっともっと楽しくなる。しまった間違えたと思えば、また違う決断をすればいいまでだ。
半世紀ほど生きてみて、いまはそんなふうに思っている。
『クロワッサン』1126号より
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