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「生きる」ための料理が母と僕とのコミュニケーション(山田宗宏さん「母と僕をつないだ料理」(1)【助け合って。介護のある日常】

撮影・井手勇貴 構成&文・殿井悠子

「生きる」ための料理が母と僕とのコミュニケーション。

山田宗宏(やまだ・むねひろ)さん●1958年、兵庫・淡路島生まれ。アートディレクターとして広告会社で勤務したのち独立。母親の介護をきっかけに、淡路島と東京の二拠点生活を始める。2023年まで約5年間、母親を介護。母に作った料理を、写真やレシピとして記録してきた。
山田宗宏(やまだ・むねひろ)さん●1958年、兵庫・淡路島生まれ。アートディレクターとして広告会社で勤務したのち独立。母親の介護をきっかけに、淡路島と東京の二拠点生活を始める。2023年まで約5年間、母親を介護。母に作った料理を、写真やレシピとして記録してきた。

瀬戸内海に浮かぶ淡路島。一年を通してあたたかく、過ごしやすいこの島に、山田宗宏さんの実家がある。山田さんはリビングの陽だまりの一等地に母親の素枝子(そえこ)さんのベッドを置いて、丸5年の間、認知症だった素枝子さんの介護をした。

「以前、その場所には父のベッドも並び、母が父の介護をしていました。父が肺炎で亡くなってから母はすっかりお洒落をしなくなり、2年経ったくらいから認知症の症状が出てきて。その様子を見て、夫婦ってセットなんだなって」

朝食は、フルーツと自家製マーマーレードを塗ったトーストがお決まり。淡路島では旬の素材が豊富。「多少料理を失敗しても、新鮮だからよく食べてくれた」と山田さん。
朝食は、フルーツと自家製マーマーレードを塗ったトーストがお決まり。淡路島では旬の素材が豊富。「多少料理を失敗しても、新鮮だからよく食べてくれた」と山田さん。

実家は商店街で化粧品や薬品などを販売する商売をしていた。いつでも一緒の2人は、息子の山田さんから見ても恋人のようだったという。

一方、山田さんにとって素枝子さんは、意見がぶつかる相手で少し苦手な存在。父の収男(かずお)さん同様、絵を描くのが好きで穏やかな性格の山田さんとは性格的に合わず、衝突することも多かった。そんな素枝子さんの介護をするために、東京から淡路島にほぼ移住する形で住むようになったのは2019年からだ。

「最初は姉と妹と3人でローテーションを組み、交代で様子を見に行っていました。認知症が進んでしまい、誰かがそばにいないと、母が倒れても誰も気づかない状態になったので、自由業の僕が淡路島で暮らすことを決めました」

決めたはいいが、さあ、どうしよう。上京してから約40年ぶりに母親との2人暮らし。山田さんが素枝子さんとのコミュニケーション手段として選んだのは、料理だった。

料理を毎日きちんと作るのは初めての経験だったが、料理中は無心になれたし、おいしいものを食べると自分も元気になった。最初は見よう見まねで、和洋中エスニックと、いろいろな料理に挑戦。栄養はもちろん、食欲がわくように見た目も意識し、棚の中から器を発掘して、さまざまな器に色とりどりに盛りつけた。自分が作った料理で、素枝子さんは時々うれしそうな顔をし、それを見た山田さんも自然と笑顔になった。

「会話は多くなかったけれど、毎日毎食、食卓で顔を合わせる。メインの部分はヘルパーさんたちにサポートしてもらいましたが、料理だけは自分が最後まで担当できてよかったと思っています」(続く)

素枝子さんも時々お手伝い。
素枝子さんも時々お手伝い。

『クロワッサン』1132号より

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