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『俺は100歳まで生きると決めた』著者、加山雄三さんインタビュー。「今、健康でいられるのはかみさんのおかげ」

撮影・中島慶子 

「今、健康でいられるのはかみさんのおかげ」

加山雄三(かやま・ゆうぞう)さん●1937年、神奈川県生まれ。歌手、俳優、作曲家。慶應義塾大学法学部卒業。’60年に映画『男対男』で俳優デビュー。「君といつまでも」「サライ」などヒット曲を多数送り出す。今年4月、故郷である神奈川・茅ヶ崎に銅像が設置。
加山雄三(かやま・ゆうぞう)さん●1937年、神奈川県生まれ。歌手、俳優、作曲家。慶應義塾大学法学部卒業。’60年に映画『男対男』で俳優デビュー。「君といつまでも」「サライ」などヒット曲を多数送り出す。今年4月、故郷である神奈川・茅ヶ崎に銅像が設置。

永遠の若大将も、もう87歳。それにしても大胆なタイトルです。

「いやいや、俺から言い出したわけじゃないんだよ。周りに提案されて、人生100年時代というし、キリもいいし、じゃあ100歳まで生きるかって(笑)。三桁までいければホントいいと思うね」

米寿目前とはいえ、本書は振り返るばかりの自伝ではない。昭和の日本映画を代表する二枚目俳優・上原謙の息子に生まれ、茅ヶ崎の自然に揉まれて育ち、芸能デビュー後はご存じのとおり八面六臂の活躍。華やかなスターという印象に違いはないが、語り口はカジュアル、そして常に周囲の人をよく見て、敬愛の姿勢でいる。

だからこそ、別れはつらい。盟友との縁と永別のくだりは、悲しみと驚きに満ちている。

「谷村新司君が亡くなった時はショックだった。ひと回り下なんだよ。それがいきなりいなくなるなんて、あれは苦しかったね。順序が逆じゃないかよって。お別れ会に行くと、あいつがにっこり笑ってる写真が飾ってあって。それを見た時、なんでお前が先に行くんだよと思って、あいつ(遺影)の前にあった大きな鐘をカーン!って叩いてやった。俺の気持ちを聞いてくれって。かみさんに怒られたよ。地井武男君も友だちだった。ある日電話が来て、僕の代わりに散歩の番組やってくれますかって。そんなのいくらもできないよって何回かやってるうちにさ……いなくなっちゃったんだよね……。結局その番組は延々3年続いたから足腰を鍛えてたのは役に立ったけどさ」

そう、加山さんは100歳宣言に先立ち70歳の時、「守りに入らずに攻めなくてはいけない」と思い、トレーニングを強化しているのだ。今もジムでトレーナーのもと、週2、3回鍛えているそう。

「マシンで歩いたり、爪先立ちや片足立ちをしたり。人間は足から弱るって言うからさ、年をとるほどそういう運動は必要になってくるし役に立つと思うよ」

また加山さんといえば食通の大食漢で有名だが、本書には食にまつわるこだわりや豪快なエピソードも多く収められている。

「やっぱり食うのは大切だね。自分の好きなものだけ食ってりゃいいってもんじゃないんだ。バランスよく摂らなきゃいけない。だから今、健康でいられるのはかみさんのおかげだと思うよ」

妻を愛するのは当たり前のこと、と言う加山さんらしく、夫婦の逸話も一貫して愛に溢れている。

「泉重千代さんって人は120歳まで生きたらしいね。その人がインタビューで『どんな女性が好きか』って聞かれてて。聞くほうも聞くほうだよな(笑)。で、『わしゃあ甘えん坊じゃけ、年上のおなごがよかとよ』って。どこにいるんだよって、あれはおかしかったなあ。俺はといえば、かみさんがいなかったらえらいことになってたと思う。だから『何があっても俺より先に行くんじゃないぞ』と言ってるんだよ。妻が死んだら同じ日の午後に俺も死ぬ。葬式に来る人も1回で楽でしょう(笑)」

70歳の時に「これからの人生は守らず攻める」と決めた著者の、昭和の思い出から大切な人との別れまで。 新潮社 836円
70歳の時に「これからの人生は守らず攻める」と決めた著者の、昭和の思い出から大切な人との別れまで。 新潮社 836円

『クロワッサン』1115号より

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