月5万円の年金生活、紫苑さんが「捨てる」ことで手に入れた小さな家と豊かな人生。
その秘訣を聞きました。
撮影・三東サイ 文・斎藤理子
好きで美しいものに囲まれて暮らせれば、それで充分満足です。
フリーライターとして活躍しつつ、シングルマザーとして2人の子どもを育て上げた紫苑さん。71歳になった今、子どもたちは独立し、自身は小さな一軒家で一人暮らしをしている。
将来的に受給できる年金が月5万円とはっきり意識したのは64歳のとき。賃貸の家賃を払い続けることに大きな不安を抱いた紫苑さんは、小さな家を購入するという大きな決断をする。
「お金ときちんと向き合った経験が1回もないまま60歳を過ぎてしまったんです。近い将来に自分が年金生活者になり、しかも月5万円しかもらえないという事実に直面し、初めて暮らしというものを真剣に考えるようになりました」
地方への転出も考え、いろいろと調べたが、見知らぬ土地で60歳を過ぎた女性の一人暮らしは厳しいという結論に。そんなとき、散歩の途中で見つけたのが、売りに出ていた中古の一軒家。
「この歳で家を買うなんてことをしていいのか、すごく悩みましたけど、一軒家は家賃も管理費も修繕積立費もいらないというのが大きな魅力で、決めました。おかげで貯金はすべてなくなりましたけど」
引っ越ししてしばらくは、古くて狭い家が恥ずかしくて、人を呼べなかったという紫苑さん。コロナ禍もあり、収入が激減する中、月額5万円の年金でいかに楽しく暮らすかを模索することになる。
「月5万円の年金で暮らすためには、いろいろなものを捨てなければならなかったのは事実です。最初は捨てるのが苦しくて。でもそれは、前の生活と同じものを持ち、同じ状況で暮らそうとするからだと気付きました。何が自分に必要か、本当に必要なものは何かを考え、そこに特化していくにつれ、つらいとか苦しいという感情は消え去っていったんです」
着物がずっと好きで、一時は部屋中着物で溢れ、足の踏み場もなかったという。桐箪笥の上に着物を積みすぎて、箪笥が壊れたこともあるそうだ。その着物もすべて手放そうと思い、半分以上は処分したものの、半分は手放し切れずに残したという。
「私は着物が大好き。好きなものがあるからこそ、ほかのものが捨てられることに気がついたんです。家具、洋服、本はほとんど捨てました。でも着物は全部捨てることはできなかった。
無駄かもしれないけれど、美しいものに囲まれる生活は私にはとても大事。私にとっての美しいものが着物だったんですね。高い着物は後々子どもが処分に迷うだろうと思い、売ったりリサイクルに出したりして、本当に好きなものだけを残しました」
流行に左右されず、きちんとした場にも着て行けて、特別感があり、気持ちも華やぐ着物は、たまのお出かけにとても重宝すると紫苑さん。洋服は、年齢を重ねたり体形が変われば似合わなくなるものもあるため買い替えにお金がかかるが、着物ならそんな悩みも無用。かえって経済的だという。
大好きなDIYはお手のもの。自分好みにリフォームして快適に。
前の賃貸よりもずっと小さな家に引っ越しをした紫苑さんは、狭い部屋を広く見せて狭さが気にならなくなる工夫を始める。
「家の中に1カ所でもきれいな場所があると、片づけはどんどん進みます。私の場合、そのきっかけは、寝室にある高さ180cmもある大きな本棚でした。階段から上がってくるとものすごい圧迫感。処分しようと思っても、私一人ではとても運べません。思い悩んでいたときに、ふとそれを横にしてみようとひらめいたんです」
本棚を横にして、これも処分しようと思っていたチェストの引き出しをはめ込んだらピッタリ。唯一無二の箪笥が完成した。ここに帯を入れ、上には大好きなカゴバッグを並べてみたら、完璧な空間に。今では家の中でも一番お気に入りの場所になっている。
「直したい部分は、自分でどんどんDIYします。キッチンのパネルが味気なかったので、100均でカントリー調の壁シートを買ってきて貼り付けたら素敵になりました。カーテンは、着物や帯をパッチワークにしたお手製。好きなものだけに囲まれているから、豊かな気持ちでいられます」
この家に引っ越してくるまで、部屋数はたくさんあったほうがいい、ものはより多く持っているほうが豊かだという思い込みにとらわれていた、と紫苑さん。節約生活に入ってから、いらないものは捨てて、使うものは作ることがすっかり当たり前になった。買わないためにはどうすればいいか常に考えるのも楽しいという。
「見栄を捨てたのが一番大きいですね。人を羨むことがなくなって、ものすごく楽になりました。人と比べなくなったら、本音で話せる友人が増えたのは、思いがけず幸せな副産物。ものよりも何よりも大事な財産です」
物欲を捨てたら吹っ切れて、新しい世界が見えてくる。
ものにあふれた生活をしていた頃は、常に収納に悩み、掃除もとても大変だったと紫苑さんは思い返す。
「掃除を含め、ものがあるときはメンテナンスにすごく時間が取られていたんですね。今はその時間を自分が好きなことに全部使えるので幸せです。ものはないほうが楽だということに、ようやく気付いたんです」
紫苑さんにとって、小さな一軒家に引っ越して得た、もうひとつの思いがけない副産物が、自身の健康だそう。紫苑さんの家の近くには大きな公園や土手があり、ここを散歩するのが毎日の日課になったからだ。
「隣家に囲まれた家なので、窓を開け放って景観を楽しむというわけにはいかないんです。狭い家にずっといるとさすがに息も詰まってくるので、外に出るようになりました。玄関を開けたらすぐに外なので、マンションの時よりずっと気軽に出かけられることに気が付きました」
最初は土手の階段を登るのも一苦労だったのが、今では2、3往復することも。清々しい空気を深呼吸しながら長い散歩をするのがすっかり楽しみになり、1日数回散歩に行くこともあるという。おかげで、体調はこれまでの中で一番いいそう。
「狭い家から外に出たときの気分は最高。おまけに健康も手に入れられて、いうことないです」
節約とは一円でも安いものを買うことでも、安ければいいと体によくないものを食べることでもない、と言う。紫苑さんにとっての節約は、限りあるお金をどんなふうに使うかを考える知的な行為。大きな家を捨て、その中に詰まっていた大量のものを捨てて、紫苑さんは以前見えていなかった清々しさと幸せをつかんでいる。
『クロワッサン』1083号より
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