私は母方の祖父に六代目尾上菊五郎、父方の祖父に三代目中村歌六、父は十七代目中村勘三郎という歌舞伎役者の家に生まれました。
私自身、4歳のときに父の襲名披露で初舞台を踏んで、早いものでそこから70年。歌舞伎の舞台にも子役として何度も立ちましたし、15歳まで出してもらいました。
小さい頃から松本白鸚兄さんや中村吉右衛門兄さんたちとお芝居ごっこをして遊んでいただいたものです。そんなとき私は、いつもいいお役でないと拗ねていましたけれど(笑)。
歌舞伎のすごいところは、同じお役でも違う方がなさるとまるで別物になるんです。
幼い頃から踊りに鼓、太鼓、三味線などのお稽古をされてますから基礎があって、形は決まっていても創意工夫をすることができるんですね。弟(十八代目中村勘三郎)は“型があっての型破り”と申していましたけれど、型をわかっていて、それを超えたものにする。それが観る方の心を打つのでしょうね。
よく、男に生まれて歌舞伎役者をやりたかったか?と問われます。絶対嫌です! 菊五郎さんや白鸚・吉右衛門兄さん、市川團十郎さんがいらして、下からは坂東玉三郎さんやうちの弟、坂東三津五郎さんが迫ってくるんですよ。女に生まれてよかったです(笑)。
そんな私を歌舞伎の虜にさせたのは、六代目中村歌右衛門のおじさまでした。
『お俊伝兵衛(しゅんでんべえ)』というお芝居で、シャク(胃けいれん)を起こしたお俊が帯揚げを締めて痛みをこらえるのですけれど、その首に浮き出た筋の素敵だったこと。私の初恋でしたね。
その場面見たさにそれから毎日歌舞伎座に通いました。父が嫉妬するくらい、毎日おじさまの楽屋に入りびたっておりましたら、うれしいことに、「久里子ちゃんは私のお嫁さんになるのよね」と言ってくださったこと、鮮明に覚えています。
私は16歳で新派に入りましたけれど、今でも歌舞伎を観に行くときはおじさまに敬意を表して、オシャレをして出かけるようにしています。