『大いなる夜の物語』著者、清水将吾さんインタビュー。「人は大人になると“疑問”を忘れてしまう」
撮影・黒川ひろみ(本) 谷 尚樹(著者)
「人は大人になると“疑問”を忘れてしまう」
僕の名前は草野春人(くさのはると)。今、僕の前ではまた石戸夕璃(いしとゆり)さんが女性の先輩にネチネチお説教されている。石戸さんは会社の同期で、幼馴染でもある。この会社に入った時はうれしくて、やめたいと思う日が来るなんて夢にも思わなかった。けれども、「日常」というものは、なんでこんなにつらいのだろうーー。
これは、哲学者、清水将吾さんによる初めての長編小説である。
「前々から短いものを書いては“哲学仲間”に読んでもらっていたのですが、哲学者の永井均さんや編集の方の励ましにより、一冊にまとめることができました」
長編は41の謎+1の謎によって構成されている。「日常」というものはなぜつらいのか? という身近な謎から始まって、過去にさかのぼることはできるか? マカロニの穴を内側からかじるには? 天球の外には行けるのか? と、僕と石戸さんは、日常から宇宙の果てという、大きな射程の中に潜むさまざまな謎に突き当たる。
「私自身、小さな頃から自分が自分という人間として生きていることをずっと不思議に考えておりまして、そうした謎もこの世界観の中に提示してみたかった」
〈黒の人〉と、 〈青い騎士〉の戦い。
とある休日、石戸さんと一緒に科学博物館へ隕石を見に行くことになった僕は、広場で出会った女の子に、子どもの頃の疑問を問われ、即座に答えることができない。女の子は言う。
〈どんな人でも生まれてきて世界と出会った時は、びっくりして疑問を持ったはずなのに、それをだんだん忘れていってしまう〉
大人になると子どもの頃の疑問が日常の問題の中に埋もれていく。清水さんはその原因について、哲学仲間とこう話す。
「どうやら時間に関係しているのではないか、と。特に始まりの時間を作ることがいけません」
子どもが遊び始める時に時間は関係ない。だから夢中だし、いつまでも遊ぶ。一方、大人は時間軸に沿って動くから、その行動は常に区切られている。幻想的な物語の中では二つの対立する力の化身、すべてを一つに統合しようとする〈黒の人〉と、すべてを区切ろうとする〈青い騎士〉の対決がしばしば描かれる。
「どちらが大切というのではなく、世界はそのせめぎ合いで成り立っているんだと思います」
清水さんはカフェなどで、子どもたちや学生と哲学をするワークショップもおこなっている。
「誰にでもオリジナルの謎や問いというものはあって、対話の中でそこへ辿り着いた時の彼らの顔は本当に生き生きしています。そんな時は、問いそのものがその人の核なのではないかと思う」
作中では、成長していくにつれて疑問を忘れてしまう大人は、問題という包帯でぐるぐる巻きにされた〈問題のミイラ〉という言葉で表現されるが……。
さて「日常」はなぜつらいのか? 本を紐解きながら、考えてみたい。
『クロワッサン』1028号より