見初められたお春は城へ輿入れするものの、跡継ぎを産むなり用済みとばかり実家へ帰されてしまう。そしてついに、金に困った父親によって、お春は島原の遊郭へ売られてしまい……。
封建社会における女の立場の、どうすることもできない弱さ。美人ゆえに男に好かれ、美人ゆえにあらゆる社会階層へ召喚され、そして容赦なく棄てられるめちゃくちゃな人生が、これでもか! これでもか! と畳み掛けるような不幸エピソードで描かれます。
なぜお春がここまで過酷な運命を送ったのか……それはお春が女である上、「美人」という、過度に物扱いされる存在だったから。原作が書かれた徳川綱吉の時代も、映画化された67年前も、そして現在にいたっても、女性を取り巻く現実は本質的には変わっていないことにぞっとさせられます。さらに言えば、女の不幸が感動的な物語として消費されていく、本作の構造にも……。
お春が死のうと竹やぶを彷徨うシーンの絵巻物的な美。それと対照的な、家臣が側室候補を品定めするシーンの醜悪な笑い。ここぞという場面をワンカットでダイナミックに撮り、溝口健二は映画の神となったのです。