【白央篤司が聞く「自分でお茶を淹れて、飲む」vol.6】高橋千恵(ギャラリーオーナー)「急須は回さないほうがいいというけど、私は少し回しちゃうの」
取材/撮影/文・白央篤司 編集・アライユキコ
1年に4キロほど飲むでしょうか
「私、日本茶党なんです。普段に飲むお茶は取り寄せていて、1年に4キロほど飲むでしょうか」
お茶の話で、年単位の飲む総量をさらっと答えてくれた人は人生ではじめてだったので、一瞬面喰らってしまった。東京は国立市でうつわや工芸品を扱う「黄色い鳥器店」を営む高橋さん、聞けばご出身は静岡県。言うまでもなく、日本のお茶どころのひとつである。昔の清水市(今は静岡市清水区)の、山間部のほうで育った。(インスタグラムはこちら)
「家でもお茶を作っていたんです、畑で茶葉を育てて。だからお茶を買う感覚ってなかったですね。曾祖父は茶の手もみの名人だったらしいですよ、お手製のが献上茶にも選ばれていたなんて聞きます」
唱歌でもおなじみ、八十八夜には「家族みんなで新茶を試して、今年の出来はどうだろうねなんて、飲みながらああだこうだ言い合うんです。楽しかったですよ、その日が近づいてくるとわくわくしました」と、懐かしそうな表情で教えてくれる。聞くうち、なんだか茶の香りが漂ってくるようだった。
いつもお決まりのお茶を取り寄せているが、今年は別に楽しみにしていたお茶があったのだとか。
「去年、お客様にいただいた熊本県の人吉市のお茶がとてもおいしくて。新茶が出る頃、また取り寄せてみようと楽しみにしていたんです」
そう言いながら、手早くお茶の用意を始める。沸かしたお湯をまず大きなマグに移して、ちょっと温度を下げる。「これで10度ぐらい下がる、なんて言いますね。80度ぐらいがいいらしいいけれど、私、お茶は熱いほうが好きだからもう淹れちゃう(笑)」なんておしゃべりしながらの茶淹れが楽しい。「(お茶を淹れた)急須は回さないほうがいいというけど、私は少し回しちゃうの」とまた笑う。ざっくばらんな高橋さんの茶との付き合い方に、なんだか飲む前から心が和んだ。
翡翠に少し黄みが入ったような色も美しいが、何より香りがいい。新茶ならではの若々しい匂い立ち。ああ、うちの茶缶に入れたお茶はずいぶん長いこと入れっぱなしで、せっかくの香りを飛ばしてしまっているな……と飲みながら反省もする。
バランスがいい急須とは?
子どもの頃、家の茶畑で「“びく”にいっぱいのお茶を摘むと、お駄賃が500円もらえたんです」という高橋さん、気がつけば自分でお茶を淹れる習慣が身についていた。
「ごはんのときもお茶飲むんです、終わってからじゃなく。父も弟も自分でお茶を淹れる習慣がついてました」
現在、普段用に楽しんでいるお茶はやっぱりなじみのある静岡のもので、いわゆる深蒸しタイプだそう。飲んでみますか、とまた勧めてくれたとき、いかにも手なじみの良さそうな急須のきれいな丸型が気になった。商売柄急須もいろいろと持っているが、「いちばんお気に入りのもの」と目を細める。
「高知で作陶されていた小坂明さんのもので、この人の急須は最高……。お茶のキレもいいし、茶こし部分も細かいから詰まらないし、何よりバランスがいいんですね」
急須のバランスがいいって、どういうことなんでしょうか。
「急須って本体があって、持ち手があり、注ぎ口があり、ふた、そして中の茶こし部分の5つのパーツから成っているんですが、それらを組み合わせたときの全体的なバランスのこと。そのバランスがいいと、持ちやすいし使いやすいわけです」
そうか、考えてみれば急須とはまったく形の異なるパーツの集合体なわけだ。そんなことを一切感じさせない、なめらかで自然なフォルムの急須が突如としてすごいものに見えてきた。
「鉢ひとつ作るよりもやっぱり手間はかかります。私、良質な急須って手間だけ考えても、一つ2万円でも本当は安いと思う」
作るのに手間はかかるし、難易度も高い。しかし現代、お茶を家で淹れる人は減っている。淹れるとしてもティーバッグで、茶葉で急須からという人は少なくなった。だから急須が売れない。「急須を作れるうつわ作家は減っていると思いますよ」という高橋さんの言葉が胸に響く。
旅行にも茶葉を持っていくんです
「日本茶の良さを、もっと多くの人に知ってほしい」と願う高橋さん。今回の取材は高橋さんのお店で行ったのだが、こちらのギャラリーは入口すぐのところにコンロと流しのあるのが印象的だ。
「コロナのときはやめてましたが、来てくださった方にお茶を淹れてたんですよ。コンロとお茶がお客さんとの仲介になってくれるんです」
うつわのギャラリーって、はじめてのところはちょっと緊張することもある。そんなとき、緑茶をすすめると話のきっかけにもなるし、リラックスしてもらえるのでは……なんて思いから、お店を始めるときに「コンロ付き」で設計したのだった。
誰かにお茶を淹れてもらう体験って、現代ではなかなかない。同時に、かつては仕事で企業を訪ねても、個人宅を訪ねても、緑茶をいただくのが「普通」だった時代を思い出す。高橋さんの店でお茶をすすめられて懐かしい思いになる人、初めての体験になる人、両方いるのだろう。
(※最近は常に出すわけではなく、お客さんが少ないときに出されているそう)
「私、旅行にも茶葉を持っていくんです。やっぱり朝にいつものお茶を飲まないと気持ちがシャキッとしないから。ずっと静岡のお茶を飲んできたけど、各地のお茶で味わいもいろいろ。今後はもっと様々なお茶の味を知って、楽しんでいけるようになりたい」
好きな湯呑みもたくさんあるが、この日は大きめのやちむんに手がのびた。取材日は5月の下旬、風にいよいよ夏っぽい湿りが混じってきて、光も強くなってきた頃。
「だから自然とやちむんのお湯呑みを選んだのかもしれませんね。寒い間は黒っぽいものや灰色のものを選びがちだったり、厚手で冷めにくいものを選んだり。茶器ひとつで味や印象もグンと変わることも、お客様にお伝えしていきたいです」
ああ、確かに初夏の光にやちむんのあざやかな色がよく映える。最初に出してくれた薄手の白磁茶碗も繊細で、これからの時期にぴったりだ。訊けばこれも小坂明さんの作という。「亡くなられちゃったから新作をみなさんにご紹介できないのが残念で……」と、高橋さんは本当に悔しく、寂しそうに言った。