野口日出子さんが信頼する、町の豆腐屋さん「東京仁藤商店 豆富にとう」
撮影・岩本慶三、谷 尚樹 文・石飛カノ
名だたる料理教室で本格的な日本料理を学び、現在は自らの料理教室で和食の心を伝え続ける野口日出子さん。料理教室のある自由が丘から私鉄で4駅先へ、わざわざ電車に乗って足繁く通うお豆腐屋さんがある。『東京仁藤商店 豆富にとう』だ。
平成9年、自宅が近隣の失火で延焼し、同じ沿線の上野毛に引っ越して一時住んでいたときのこと。
「なにせお豆腐が好きなので、いろんなところに買いに行ったんです。近所に何軒かお豆腐屋さんはあったんですが、こちらのお豆腐が本当においしくて通いつめました」
何につけても徹底的に調べて追いかけて、食べ比べをするという野口さん。鮮魚しかり、卵しかり、豆腐しかり。
「鰹節もそうでした。40年前、築地にある5軒の乾物屋さんに毎週のように通って、ひたすら鰹節の食べ比べをしました。食べ比べはもう、私の趣味」
以来、自分で口にする分はもちろん、料理教室で使う豆腐もすべて『東京仁藤商店』のものと決めた。
「上野毛に野口先生が住んでいらした頃は、豆腐をご自宅に届けていました。一度、先生が店に来て水餃子を振る舞ってくださったこともあります。あれはおいしかったなぁ」
と、2代目当主の金元真一さん。それもそのはず、水餃子は野口さんの自慢料理のひとつ。野口さんが自由が丘に新しい家を建て、そこに移った今も家族ぐるみの付き合いだという。豆腐づくりは金元さん一人が一から十まで行っている。昨今ではすっかり珍しくなった家内制手工業。前日の夜に豆を水に浸すところから始めて、翌日一日かけて作るのが木綿豆腐50丁、おぼろ豆腐20丁、絹ごし豆腐90丁、プラス厚揚げや薄揚げ。そんな一日の作業の中で金元さんのささやかな楽しみは、
「木綿を作る前に搾っていないおぼろ豆腐をすくって味見すること。このときが、一番楽しいですね」
おいしさの秘密は原料にあり。 ひね豆であることも重要ポイント。
さて、野口さんが太鼓判を押す豆腐の味を支えているのは、丁寧な手作業だけではない。最大のポイントは原料の大豆。ずっと使っているのは佐賀県産の「フクユタカ」。タンパク質の含有量が高く、しっかりした食感が特徴で、豆腐用の大豆として定評がある。
「築地でいろいろ話を聞くと、最近のお豆腐屋さんはアメリカなど外国産のものを使っているところが多いそうです。こんないいお豆を使っているところは、そうそうない。私の教室では魚でも何でも天然の一番いいものを使っていますが、お豆腐も同じこと。やはり原料が一番大事だと思うんです」(野口さん)
さらに、同じ「フクユタカ」でも新豆を使うのではなく、「ひね豆」を使用していることが野口さんをいっそう納得させた。
「新豆は人気がありますけれど、それは単純に柔らかいから。ひね豆は戻すのに時間がかかりますが、うまみが全然違います。お正月に黒豆を煮るときも新豆ではなくひね豆を使うととてもおいしく煮上がるんです。これは、一般の人にあまり知られていないことかもしれません。築地のお豆屋さんで〝ひねちょうだい〟と言うと、〝あんたプロ?〟と聞かれますよ」
金元さんいわく、
「新豆のほうが香りはいいんですけど、乾燥しきっていないことがあるので戻すときにムラが出てしまうことも。そういう意味でひね豆のほうが安定して使うことができますね」
最高の原料と丁寧な手仕事が、ほかではお目にかかれない豆腐の品質を支えているというわけだ。
お店の一番人気は絹ごし豆腐。でも、野口さんがここで買い求めるのは、もっぱら木綿豆腐。
「絹ごしは冷や奴で食べるにはいいんですが、お鍋やお味噌汁で使うと水っぽくなってしまいます。料理に使うなら断然、木綿豆腐です」
金元さんによれば、栄養的にも絹より木綿に軍配が上がるのだとか。
「木綿は海水を凝縮したにがりを使うだけ、絹はそれに〝澄まし粉〟という凝固剤を加えるので、木綿のほうが海水由来のミネラルは豊富です」
そのお気に入りの木綿豆腐を使い、野口さんが料理教室で作る和食の中で、毎年大好評なのがあんこう鍋。
「鍋の中であんこうの肝を脂が出るまで煎り、味噌を加え、骨でとった出汁と調味料でのばします。木綿豆腐は、おいしいスープが薄くならないようにさっと熱湯にくぐらせてからお鍋に入れる。よそのお豆腐はそこで崩れてしまうけれど、こちらのお豆腐は崩れずにおいしくいただけます」
もう、聞いているだけで生唾が溢れてくる。
『クロワッサン』946号より
●野口日出子さん 料理研究家/陳建民氏、柳原敏雄氏など、一流の料理人に師事し、現在は東京・自由が丘で野口日出子料理教室を主宰。
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