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『全員タナカヒロカズ』田中宏和 著──同姓同名が繋ぐ不思議な連帯が世界を動かす

話題の本、気になる本。noteで発表したエッセイが話題になり、デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』が発売中の文筆家・伊藤亜和さんが紹介する一冊。

文・伊藤亜和

『全員タナカヒロカズ』 田中宏和 著 新潮社 1,870円
『全員タナカヒロカズ』 田中宏和 著 新潮社 1,870円

この本の主人公は、タナカヒロカズという男である。いや、これはひとりのタナカヒロカズの思いつきによって始まった、長く壮大なタナカヒロカズ“たち”の物語である。

幼いころから自分の名前の平々凡々っぷりにうんざりしていた著者、田中宏和氏は、あるときテレビの向こうで同姓同名の野球選手がドラフト会議で1位指名されている光景を目撃する。自分と同じ名前の人間が全く別の人生を生き、かつて幼い自分が夢見ていた野球選手という夢を叶える姿を見て、若き著者は雷に打たれたような衝撃的な喜びを体験する。その出来事をきっかけにして、著者は日本全国にいるタナカヒロカズという名前の人物を集め交流していくという運動にのめり込んでいくのだが、そのある種狂気の領域に近い執念に、読んでいると思わずニヤついてしまう。

同姓同名ということしか共通点のない人たちが集まったところで、一体なにが起きるというのか。そんなのほとんど他人ではないか。こんなに何ページも書くことがあるのだろうかと、数ページ読んだところで正直少し心配してしまう。ところが、この見切り発車で始まった「タナカヒロカズ運動」の軌跡に始まり、本書は日本において、そして人間にとって名前とは何なのか? 人が集まるとはどういうことなのか? という問いに話を繰り広げていく。もはやちょっとした学術書のような興味深い内容に、ページをめくる手が止まらなくなった。

本書を読み進めながら、私は自分のアイデンティティについて考える。私の名前はかなり珍しい。

ミドルネームを含めれば同姓同名の存在はほぼあり得ない。おそらくは世界に一人しかいない私の名前。私が私を特別な存在であると認識させたのは、他でもないこの名前である。それがもし、目の前に現れたらどうなってしまうだろう。私だけのものだと思っていた名前の先に、全く知らない人がいたら、私は怪訝な顔をしてしまうような気がしてならない。著者の田中宏和氏は、タナカヒロカズという存在について「自分に一番近い他人」だと言う。他人でありながら喜びも悲しみも、自分ごとのように考えることのできる存在ということだろうか。これは名前かもしれないし、ルーツかもしれないし、血液型なのかもしれない。人は、人に掛けられた言葉で自分を作っていく。それが名前という表面的な属性でも、周囲に掛けられた言葉が似通っていれば、手を取り合いたくなることは不思議なことではない。たったそれだけのことが、交わらなかった人間同士の人生を奇跡的に繋ぐのだ。

本書の中で紹介されていた「田中宏和のうた」をYouTubeで聞いてみる。タナカヒロカズたちが、声を合わせて楽しそうに歌う奇妙な映像に、なぜか涙が出てきた。

「田中宏和は田中宏和を知る」。なんて素敵な歌詞だろう。些細なことから、たくさんの人とふれあっていたいと思う。ただの他人で、他人だからこそなのだ。人が目的もなく集まるってきっと楽しいことだって、私は信じ続けたい。

  • 伊藤亜和 さん (いとう・あわ)

    文筆家

    noteで発表したエッセイ「パパと私」が話題に。デビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』が発売中。

『クロワッサン』1152号より

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