『ちいさな手のひら事典 野に咲く草花』ミシェル・ポーヴェ 著 いぶき けい 訳──草花との小さな隔たりを、埋めてくれた本
文・中村姿乃
散歩中、道ばたにひっそりと咲く草花に、ふと目が留まることがあります。佇まいや香りに惹かれて足を止めるものの、「名前まではわからないな……」なんてことも。
植物を仕事相手にしている身としては、少々言いにくいのですが、実はそんな場面がけっこうあるのです。
少し気になる存在なのに、名前や個性はまだ知らない。そんな草花との間にあった小さな隔たりを埋めてくれたのが、この本でした。
『ちいさな手のひら事典』シリーズは、これまでにも猫、鳥、魔女、占星術など、幅広いテーマを扱ってきた人気のミニ事典。どれも装丁が美しく、手に取るたびにちょっとうれしくなる仕掛けが施されています。
植物をテーマにした巻もいくつかありますが、今回の『野に咲く草花』は、“庭”ではなく“野”に目を向けたところが、なんとも粋なセレクト。自然のままのフランスの牧草地や川辺、土手や山あいの道にたくましく育つ78種類もの草花たちが登場し、それぞれが静かに存在感を輝かせています。
もちろん、すべてが見知らぬ植物というわけではありません。ローマンカモミール、ローズマリー、セージ、レモンバームといったハーブの定番をはじめ、ゴボウやカラシナのように食卓でもなじみ深い顔ぶれも登場します。一方で、トリカブトやベラドンナ、ドクニンジン、ヒヨスといった、名前を聞いただけでぞくりとするような毒草まで。このラインナップ、なかなかの個性派ぞろいです。
その中には、春の代表選手であるセイヨウタンポポも。フランス語では「pissenlit(おねしょ)」なんて、ちょっと驚くような名前がついていますが、これは利尿作用に由来するもの。子どもが花の匂いを嗅ぐだけでおねしょをしてしまうなんて迷信まで残っているそうで、なじみ深い植物の意外な一面に、思わずくすりとさせられます。
さらに、かつては麦畑に涼やかな青色を添えていたヤグルマギクの紹介も。除草剤の登場とともに“畑の雑草”として姿を消し、今では野原や道の片隅にひっそりと咲いています。ラピスラズリのように深く鮮やかな青をまとったこの花は、フランスでは目の疲れを癒やす植物として親しまれ、ハーブティーなどにも活用されます。
登場するのはフランスの植物たちなので、日本の散歩道でまったく同じ草花に出会えるとは限りません。けれど不思議なことに、この本を読んだあとは、近所の空き地や公園の植物までもが、特別に見えてくるのです。たとえるなら、海外の絵本を読んだあとに、いつもの風景がほんの少しメルヘンに見えてしまう、あの感じです。
見た目や香りだけでなく、名前や背景にある物語を知ることで、植物はぐっと身近に感じられるもの。そんな意味でもこの本は、草花との関係を変えてくれる一冊かもしれません。
なんだか今日はいつもよりも植物の気配が気になる──そんな日に、そっとページをめくりたくなります。
『クロワッサン』1150号より
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