『私たちに名刺がないだけで仕事してこなかったわけじゃない 韓国、女性たちの労働生活史』──可視化されなかった韓国女性の人生と労働史
文・シスターフッド書店kanin
大学を卒業して就職したら、出勤初日に名刺が用意されていた。転職した会社でも、名刺を渡された。フリーライターになった時も、書店を始めると決めた時も、最初にしたことは名刺の印刷だった。
仕事をする人は、名刺を持っているのが当たり前だと思っていた。しかし、それはホワイトカラーとして働いてきた私の傲慢な思い上がりだ。世の中には、名刺を持たずに働いている人がたくさんいるのだから。介護従事者や清掃員をはじめとするエッセンシャルワーカーや、家事・育児をする人たちは、社会を支える重要な役割を担っているのに名刺を持ってはいない。そして、その多くが女性だ。
本書は、韓国の大手新聞社「京郷新聞社」で特別に編成されたジェンダー企画班によるインタビュー集である。55歳から72歳までのシニア世代の、「名刺を持たずに働いてきた」韓国人女性11名が、自らの人生と労働史を語っている。
朝鮮戦争を経て「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を成し遂げ、1988年にソウルオリンピックが開催。IMF危機や新型コロナウイルスによるパンデミックも経験したシニア世代の韓国人女性は、激動の時代を生きてきた。日本と同じく、男尊女卑が激しかった世代でもある。「女に学問はいらない」と言われ小学校を出るとすぐに働き始めた人、舅・姑の介護に追われながら家事と子育てに明け暮れた人、第一子が女の子だったため憤った舅から、「娘を産んで何を偉そうに」と誕生祝のテーブルをひっくり返された人。農家に嫁ぎ数十年経ったある日、「生きる中でどのような楽しみがあったか、と息子の妻に問われ、どう答えればいいか言葉が見つからなかった」と語るイ・グァンウォルさんの人生を思うと心が痛む。
けれども、決して重苦しいだけの自分語りには終始しない。前述のイさんは車の運転を覚え、村の婦人会長として人と交流することで「今はなにもうらやましくないし、田舎暮らしも素敵」と考えるようになった。小学校を卒業後働き始めたユン・スンジャさんは、経営していた食堂を60代でたたんだ後、通信制の高校で学んでいる。
また、2016年の江南駅殺人事件(女性を狙った無差別殺人事件)をきっかけにフェミニズムが社会に浸透し、母親世代の労働を娘世代が再評価するようになった、と本書は説く。身を粉にして家庭と社会を支えてきたシニア女性の存在が、ようやく可視化され見直されるようになってきたのである。
新聞社が編んだ本だけあって、韓国の労働問題やフェミニズムについてのデータと解説も豊富だ。たとえば、韓国ではエッセンシャルワーカーの4人に1人が60歳以上の女性で、その多くは低賃金であること。非正規職の割合が、年齢が上がるにつれて急増すること。農村では家事のすべてを妻だけが担う世帯が70%近くに及ぶこと。
それは、家事・育児や介護が今もなお女性だけの役割とみなされていることの現れだ。この状況は、実に日本と似通っている。日本にもきっと多く存在する「名刺を持たずに働く女たち」に思いを馳せながら読んでほしい1冊である。
『クロワッサン』1149号より
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