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“介護の休日”を作ったら母の言動が愛おしくなって──増山弥生さん「在宅介護のマイルール」(2)

「助けあって。介護のある日常」──東京で広告会社に勤務していたが、2017年から生まれ育った栃木に移住し、認知症の母親と2人暮らしを始めた増山弥生さん。「在宅介護のマイルール」について伺った第2回。

撮影・村上未知 構成&文・殿井悠子

増山弥生(ましやま・やよい)さん 1977年生まれ。東京で広告会社に勤務していたが、2017年から生まれ育った栃木に移住し、認知症の母親(写真左)と2人暮らしを始める。2019年には憧れだった自分の店を持ち、介護と仕事が両立できる環境を整えた。まもなく夫と猫2匹、犬1匹も加わり、現在は3人と3匹で一軒家に暮らす。
増山弥生(ましやま・やよい)さん 1977年生まれ。東京で広告会社に勤務していたが、2017年から生まれ育った栃木に移住し、認知症の母親(写真左)と2人暮らしを始める。2019年には憧れだった自分の店を持ち、介護と仕事が両立できる環境を整えた。まもなく夫と猫2匹、犬1匹も加わり、現在は3人と3匹で一軒家に暮らす。

栃木県の山あいで暮らす増山弥生さんは、夫の正次さんと、認知症の母親・久子さんとの3人暮らし。久子さんは現在、衣食住の日常生活の全てに介護が必要な状態だ。認知症状は約9年かけて、ゆっくりと、でも着実に進んでいった。

「最初の頃は、見慣れない母親の姿を次々と目の当たりにする日々でつらかったです」と、弥生さん。例えばある日、正次さんが仕事から帰ってくると、弥生さんが「お母さんがおかしくなっちゃった!」と泣きじゃくっていた。そのそばで、久子さんが「弥生ちゃん、心配しないで。大丈夫だかんね」と、弥生さんにではなく、家の柱に向かって熱心に話しかけていた。「義母は不安な気持ちを抱えている様子で、気丈に振る舞いながらそんな行動を。衝撃的な光景でした」と、正次さん。それは薬を替えたことが原因で起こる一時的な幻覚症状だったようで、ほどなくおさまった。ほかにも、主婦としての自覚が強い時期がやってきて、料理を手伝おうとお皿を火にかけたり、「可愛いもの=娘の弥生ちゃん」という認識で、愛犬に向かって「弥生ちゃん」と優しく話しかけたりすることもあった。

久子さん(左)と弥生さん(右)。「昔から天然キャラで明るい母でした」
久子さん(左)と弥生さん(右)。「昔から天然キャラで明るい母でした」

久子さんに新しい症状が出ると、悲しみや寂しさを感じる気持ちは今でもなくならないが、弥生さんと正次さんはその都度原因を考え、対策を試みてきた。そうすると気持ちが整理できた。「このまま自宅で最期まで母を看ることができたらいいけれど、私が母の介護を全うすることが母にとっての幸せではない」と思えるようになり、弥生さんがプロの手を借りて“介護休み”を取り始めたのは、つい最近だ。

久子さんが通う小規模多機能居宅介護施設にて。ケアマネジャーさん(右)は家族のように相談に乗ってくれる心強い存在。
久子さんが通う小規模多機能居宅介護施設にて。ケアマネジャーさん(右)は家族のように相談に乗ってくれる心強い存在。

「食事は、朝食だけ用意します。母をデイサービスに送り届けて、迎えに行くのは自分のお店を閉めた後。昼食と夕食は、デイサービスの施設で食べてもらいます。入浴は週に2回、介護サービスを利用して。お店が定休日の月曜日は、ショートステイで施設に泊まってもらい、仕事も介護も休みの日を作りました」

疲れたら、正次さんに介護を任せることもある。「気持ちがいっぱいいっぱいだった頃は、母に対して憎らしく思うこともありましたが、周りに頼れるようになった今は、トンチンカンな言動も可愛いな、と思える余裕が生まれました」。(続く)

『クロワッサン』1140号より

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