「パイ部」を結成した2人が語り合う、ベイクフードの最前線。
今回は静かに盛り上がる、包んで焼き上げる〝パイ〟について。
撮影・黒川ひろみ 文・河野友紀
アクセサリーデザイナーの山本亜由美さんとパンのアトリエを主宰する茂木恵実子さん。友人同士の2人が、今年の1月に「パイ部」なるものを結成。その現場にお邪魔し、パイ作り、そして味わう楽しさをたっぷり聞いた。
山本亜由美さん(以下、山本) もともと私は料理を作ることが好きで、しかも気になるとそのメニューばかりを集中して作り続けるところがあるんです。その流れで、今はパイに夢中で。
茂木恵実子さん(以下、茂木) パイにハマるきっかけは、一冊の本『絶品パイ料理 〝パイの帝王〟が贈る80のレシピ』との出合いですよね?
山本 そう。昨年の秋頃たまたまアマゾンのおすすめコーナーで見かけて。買ったらとにかくおもしろい。持ち歩いてまで読むほど夢中になりました。
著者であるカラム・フランクリン…私たちは“シェフ・カラム”と呼んでいるんですが、彼はロンドンの5つ星ホテル内レストランの一角にある、パイ料理の名店のシェフ。
この本に出ているパイはどれも美しく、作りたい欲をくすぐるんです。それで、今年の1月からパイを焼いてはインスタグラムに写真をアップしていたんですが……。
茂木 亜由美さんが突然、しかも連続してパイばかりアップするから、驚いた人も多かったと思います。
山本 そうかも(笑)。それで、たくさんの人がリアクションをくれた中に、料理に詳しい友人から「使っているオーブンがよくない」というコメントがいくつかあって。それを見た恵実ちゃんが、「オーブン、余っているからあげようか?」と。
茂木 私のアトリエに使っていない高性能の家庭用オーブンが1台あったので。そのオーブンを送った日に私が亜由美さんの家に遊びに行き、焼いてくれたパイを食べながら熱い語りを聞いているうちに、私もパンという“粉もの”を仕事にしているゆえにどんどん心が動かされまして。「じゃあ、私たちでパイ部作る!?」となりました。
山本 それが1月11日でしたね。そこからは部活らしく、しばらくは自主練の時期で。私が「こんなパイを焼いた」「こんな失敗があった」と話すと、恵実ちゃんはさすが粉の専門家なので「そういうときはこうしてみたら」とか、「こんな道具を使うといい」など、的確にアドバイスをくれるんです。その関係性はまるで、私が部員で恵実ちゃんが敏腕マネージャー(笑)。
茂木 そもそもこの部の結成は亜由美さんの“パイ愛”がきっかけだから、亜由美さんは部員ではなく部長かな(笑)。
包まれている形状に一目惚れ。開いて食べる特別なワクワク感。
茂木 現代ではパイ生地も食べますが、もともとパイは、肉などの具材を時間をかけて柔らかく火入れをするために考えられた“食材を包む容器”のようなもので、昔はパイ皮の部分は食べていなかったんですよね。
山本 そう。私はその“包む”という形がすごく好き。思い起こすと私が魅入られた最も最初の記憶は、ケンタッキーフライドチキンの〈チキンクリームポットパイ〉だったんですよ。昔あれを見て、“こんな素敵な料理があるのか”と魅了されたのが始まり。
茂木 生地で包まれているという形状に魅せられたという感じですか?
山本 そう、たぶん一目惚れでした。包まれている形と、食べるためにパイ包みを開けるワクワク感。他の料理ではなかなか感じられないと思います。
茂木 なるほど。というのも、亜由美さんの作ったパイを見ると、やっぱり造形が好きな人なんだなとすごく思うんですよ。パイは食べ物ではあるけれど、美味しさを追求するおもしろさだけでなく、素敵な形に仕上げられるといううれしさもあるわけなので。
山本 確かに、好きな形に作ることができ、しかも模様も描ける。そんな食べ物って多くはないですからね。
茂木 私もパイの、食べ物と造形物の間にあるような存在感がおもしろいと思うのですが、パイの持つその特性と、亜由美さんのユニークな発想の相性が特にいい気がします。例えば、アップルパイの表面に何か装飾をする場合、私は、規則的に飾り付けをすると思うんですが、亜由美さんはたぶん、もっと自由に、思うままに飾り付けるでしょう?
山本 確かにそう。私、感覚でやっちゃうんです。失敗したってやり直せばいいと思ってるので(笑)。
茂木 その、本能的にできるところが、パイ作りに向いていると思う。
山本 でも一方で、中に入れる食材によって、相性のよい皮の食感や風味は一つ一つ違うはずで、そういった繊細なところは感覚的にだけやっていてもなかなか突き詰められない。
でも恵実ちゃんは、そこをきちんと検証し、アドバイスをくれる。この間も、「それならば、薄力粉と強力粉を1:1ではなく、少しバランスを変えてみるとグルテンの強さと具材の相性がよくなるかも」と提案してくれて、実践したらばっちりでした。さすがです。
茂木 部員同士、いい役割分担ができていると思います(笑)。
山本 ということで、今日は昨日仕込んだ速成折り込み生地、ラフパフ・ペイストリーで魚のパイを作るのですが、これは型を使わずに焼けるのがいい。
茂木 型なしに自由な形に作れるってすごいですよね。パイって、生地を仕上げるには手間暇がかかります。バターと粉を混ぜて生地を作り、伸ばしたり、成形したりするたびに冷蔵庫で休ませなくてはいけない。
その理由はバターを溶かさないため、またグルテンを緩ませるためです。ただ『絶品パイ料理』の本にも書いてありますけれど、最初は市販のパイシートでいいと思いますよ。通販などで探せば、好みに合うものがあるはず。
山本 私もそう思います。まず造形や装飾、そして何より焼いてそれを食べることの楽しさを味わってほしい。さて、伸ばした生地の上に具材を置き、もう1枚のパイ生地を上にのせてしっかり密封し、魚の形に手で成形して焼き上げます。初心者でも作れる超簡単パイなのに、見た目がとてもかわいい。
茂木 魚の模様は、絵心がある亜由美さんにぜひやっていただきたい。
山本 えー! 緊張します。では、小さめのうろこがたくさんある、鯉のような魚をイメージして……。
茂木 下描きはなし?
山本 しない。下描きをしても、きっとそのとおりには描けないから。今、模様を描いていて思いましたが、結構生地に弾力があるから、ハサミで細かく切り込みを入れて跳ね上げたら、ハリネズミみたいな形が作れるのでは?
茂木 楽しそう、やってみたい! 今日は魚の形だから中身はサーモンにしたけれど、じゃあハリネズミだったらなんの具材がいいのか(笑)。
山本 今みたいに、1つパイを作ると続々とアイデアが湧いてきて、じゃあ次はどんなパイにしようかな、と、どんどん作りたくなる。だからパイ作りはやめられないのかも。では、冷蔵庫で休ませたパイを、予熱しておいたオーブンへ入れましょう。
茂木 私、パンやお菓子が焼ける様子をオーブンのドアのガラス越しに見るのが、小さい頃から大好きで。
山本 香ばしい匂いをかぎながら眺めるの、至福の時間ですよね。わぁ、膨らんできましたよ。
美味しく食べられるのは、〝焼きたて〟よりも〝冷めたて〟。
茂木 それでは、焼き上がった魚のパイを、昨日焼いておいたアップルパイ、そして中にパテがたっぷり入ったパイパテ・アンクルートと共に、いざテーブルへ。
山本 こんな素敵に焼き上がったパイが並ぶなんて……。パイの本を買った日からしたら、夢のような食卓です。パイ部、すごい! そしていい香り。
茂木 ちなみにパイは、オーブンから出してすぐではなく、少し時間を置いた“冷めたて”が美味しいですよ。
山本 素敵な言葉だけど、その心は?
茂木 粗熱がとれるまで蒸気を少し飛ばし、生地を落ち着かせるイメージですかね。そうすることで生地も具材も崩れにくくなります。待っている間に、パテ・アンクルートを切ってみましょうよ。亜由美さん渾身の作。
山本 このパイは冷ましてからゼリーを流し込むんですが、今まで何度か作ったものの、毎回ゼリーがパイ生地から漏れてしまって。どうでしょう?
茂木 断面、とってもきれい! ゼリーも全然流れ出てないですよ。生地の敷き込みが上手にいったんですね。
山本 わぁうれしい!! つらい練習のおかげで、本番の試合に勝てた気分。
茂木 部活っぽい(笑)。
山本 アップルパイも、網目部分がドーム形に膨らんで、カゴの中にりんごがゴロゴロ入っているみたいで素敵。
茂木 よかった! 改めて、こんなに特別感があって楽しく、うれしい気持ちになるパイって、すごい料理ですね。
山本 もっともっと作りたいし、憧れのシェフ・カラムのパイを食べに、ロンドンのレストランにも行ってみたい。
茂木 部活の遠征として、ぜひ(笑)。
2人の魚のパイ作りを、実況中継!
(1)今回は、速成折り込みパイ生地ラフパフ・ペイストリーを作る。「今日のために、太い伸ばし棒を買いました」(山本さん)
(2)「魚の形はこんな感じで、中身の配置はこういうふうに……」と、大理石の作業台の上に小麦粉でイメージ絵を描く山本さん。
(3)生地を伸ばし、具材を置く。本日はバターで炒めた玉ねぎと刺身用サーモン。散らしたオレガノは茂木さんの自宅の庭より。
(4)具の周囲に卵黄を塗り、上からパイ生地を重ね、接着部分をフォークで押さえつける。ギュッと力を入れて。
(5)卵黄を塗り冷蔵庫で20分休ませる。「パイ作りは作業と冷やして休ませることの繰り返し。時間はかかります(笑)」(茂木さん)
(6)冷蔵庫で生地表面を乾かしたら魚の模様を描いていく。「今日は今までより、鱗を細かく描いてみようと思います」(山本さん)
(7)さらにもう一度冷蔵庫で休ませて、250度に熱したオーブンに入れ約1時間。色づくと同時に、鱗部分が立ち上がってくる。
(8)オーブンに入れた後も、ほぼずっとオーブンの前に立ち、中を見つめる2人。「小さい頃からこの位置が大好きなんです」(茂木さん)
あまりの美味しさに、魚のパイはあっという間にこんなに小さく。山本さんの愛猫・紅子ちゃんも、匂いに誘われてやってきた。
『クロワッサン』1091号より
広告