『来世の記憶』著者、藤野可織さんインタビュー。「小説には小説の快楽があってほしい」
撮影・佐山順丸(著者)黒川ひろみ(本)
「小説には小説の快楽があってほしい」
気がつくといろいろなところで短編を書いていた、と藤野可織さんが語るのは、本作『来世の記憶』である。文芸誌や女性誌や美術誌などに発表された19の短編と1編の書き下ろしが一冊にまとめられて、このたび刊行された。
あたしの前世はおっさんだった(「前世の記憶」)や、体が腐らないように冷蔵庫で眠る少女(「れいぞうこ」)など、ここに繰り広げられているのは、時空も性別も超越する、ちょっとシュールな藤野さんらしい寓話の数々である。
「私の場合、小説を書く際には、その着想を得るのに2つのパターンがあります。ひとつは、現実ではあり得ないような光景が頭に浮かんで、それに引っ張られるように書く。もうひとつは、テーマがまずありきで、そこから組み立てていくという書き方です」
そんな藤野さんに、今回の収録作品から印象に残ったものを、あえて挙げてもらったうちのひとつが「怪獣を虐待する」である。
「迷いながら何度でも書き直すほうなんですが、この作品については一日でスルッと書けてしまい、自分でも驚きました」
で、この話がまたすごい!
待ってて、私たちの怪獣。今いくから。
〈今日は虐待かな、という気分のとき、私たちは学校が終わったあと、走ってめいめいの家に帰り、かばんを投げ出し、服を脱ぐ〉
怪獣は森にいる。今では男の子だけではなく、女の子だって大っぴらに虐待する。虐待に勤しむ娘を母はたしなめるが、その母たちだって、昔は男たちに隠れてやっていたらしい。どんな虐待を受けても怪獣は死なない。それどころか、怪獣は逃げようとすらしない。
藤野さん作品の魅力のひとつは、この明るいブラックというか陽性な残酷というか、登場人物のダークな部分を逃さずすくい取る、絶妙な対象の捉え方にあるだろう。
「加害者の視点で書きたいという意識は常に持っています」
どういうことか?
「たとえばある人が誰かに虐げられていたとして、その人は被害者かもしれないのですが、自分よりもっと弱い人に対しては加害者になるかもしれない。どんな人にも残酷な加虐性がある。というのをことさらに断罪するのではなく、ただそうなんだ、ということを書きたい気持ちがあります」
それは、芥川賞作品となった「爪と目」もそうだった。が、場合によってはダークな設定の淵に沈んだままになってもおかしくない物語の読後感は、むしろそこはかとなく温かい。虐待を受ける怪獣が、やがて愛らしいものに思えてくる、この感情移入の正体はいったい何か?
「重たい話には重たい話の快楽があると思いますが、私は単純に小説を読んだときの快楽があればいいな、と考えておりまして……」
飄々としながら、想像を掻き立てるひんやりとした文体。そこから滲み出る眼差しの温かさ。藤野さんの世界が堪能できる一冊だ。
『クロワッサン』1030号より
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