高座で落語家がおしゃべりしているとき、座布団の脇に湯呑が置いてあるというのは大層よい形に見えるそうです。しかしながら、実際に置く噺家はごく少数です。理由は大別してふたつ。「置いてあると邪魔だから」「しゃべりながら飲むのが難しい」ということ。動きの大きな仕草のある落語を演じる場合、うっかり湯呑をひっくり返したらと気が散ってしまいます。そして演じながらさりげなく飲むのも案外難しいんです。地というナレーション部分や座敷で会話しているシーンは構いませんが、外を歩いたり布団で寝ている場面ではちょっと不自然です。ちなみに中に入れるのは白湯が基本。「さゆ」と読んでくださいね。「パイタン」だと“落語日和”が“中華三昧”になってしまいますから。
昭和の名人・六代目三遊亭圓生師匠は「湯を飲むのではなく湯気を吸う」とおっしゃったそうですが、映像見ると「ゴクッ」と飲んでると思うんですよねぇ。