【海外文学編】書店員に聞く、長く売り続けたい本。
撮影・森山祐子 文・屋敷直子
[海外文学]日本文学にはない表現や設定の新鮮さを楽しみたい。
駒込にある『ブックス青いカバ』は、古書も新刊も扱う。店主の小国貴司さんは以前、新刊書店の『リブロ』で海外文学の棚を受け持っていた経験の持ち主。レジ横の新刊の棚には、小国さんが売りたい世界各国の小説や詩集が並ぶ。
まず、『プラテーロとわたし』。これはリブロ時代からずっと売っている、はずすことができない大切な本です。ノーベル賞作家であるスペインの詩人ヒメネスが、ロバのプラテーロと共に日常を過ごし、語りかけるという体裁の散文詩で、まずプラテーロの描写がこの上なくかわいい。おすすめは理論社版で、長新太さんの挿絵がほかには代え難い愛らしさです。でも、プラテーロは死んじゃうんですね。死んだあと、友人がボール紙で似せてつくってくれたものを書斎に飾ります。すると記憶の姿よりボール紙のほうが、プラテーロらしく見えてくる。この頼りなさが人間の記憶のよいところであり、切ないところでもある、と。そういう人間の深淵も描かれているんです。
ロシアの作家チェーホフの短編集『かわいい女・犬を連れた奥さん』ですが、中でもおすすめしたいのは「往診中の出来事」。お金持ちのお嬢さんが不眠症で悩んでいるところへ、医者が往診に行くんですが、悩みを聞いても何を言うべきなのかわからない。でも最後には、未来は必ず良くなるし希望に満ちていると言うんですね。しかし、チェーホフはほんとうにそんな晴れやかなことを思っていたのか。希望を持ちながらもどこかで信じられないと伝えたかったんじゃないか、とあれこれ考えてしまう良い小説です。
シュテファン・ツヴァイクはオーストリアの作家で、『昨日の世界』は彼が死を選ぶ前に記した自伝です。第一次世界大戦が終わり、国際連盟ができ、世界は平和に近づいたように見えたんですが、ヒトラーによるナチスが台頭してきて、思い描いた新しい世界は崩壊する。ユダヤ人だったツヴァイクは、一瞬だけ平和だった世界を「昨日の世界」として、今日はまったく違う世界、さらに未来は不確定でどうなるかわからない、と絶望しているのが感じられる作品です。タイトルに込められた思いが迫ってきます。フロイトなどが友人として登場するのも興味深い、時代の証言集でもあります。
パウル・ツェランもドイツ系ユダヤ人の家に生まれました。第二次世界大戦時には両親は強制収容所へ送られて死去、自身も収容所での強制労働の経験があります。今回の選書では、戦争のような大きな破壊や死を体験したのちに、人間はどうやって文学をつくり上げていくのか、ということを考えました。『パウル・ツェラン詩文集』に所収の「死のフーガ」は、強制収容所でのことを描いていて、内容は重たいのですが、言葉やイメージ、詩の力強さが伝わってくるんです。
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は、アメリカで起こった2011年の9.11テロで父を亡くした少年が、その死を受け入れて成長していく話です。そこに、彼の祖父母の話もからみ合い、複数の時間軸で物語が進む、すこし入り組んだ構成になっています。特筆すべきはこの本の装丁。赤字が入っていたり、行間がどんどん詰まっていって真っ黒なページがあったり、なによりラストは文章ではなく写真で終わります。少年の成長譚ですが、単純に大人になってよかったでは終わらない、いろいろな思いがこもったラストなんです。映画化もされましたけれど、原作の小説を読むことはまた違った体験になると思います。
一口に海外文学といっても、さまざまな国と言語のものがあります。おもしろいのは、日本文学とは土台が違うことですね。海外の作者は当然と思っているだろう表現方法や設定に、日本では考えつかないようなものが多くある。一方で、共通しているテーマも見つかる。そうした普遍性と特殊性を楽しむのも、海外文学を読む醍醐味のひとつです。
『クロワッサン』979号より
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