「銀閣寺の元になった東山山荘を築いた時、義政は畳を部屋全体に敷かせました。それまでの常識だと畳は義政の周りにだけ敷いてあり、身分が低い者は板張りの床に座りましたが、義政は分け隔てなく部屋全体に畳を敷いた。贅沢といえば贅沢ですし、日本文化の源を作ったといえばそうかもしれません。ただ、本人はきっと人と対等に語り合いたかったんです」
義政に招かれて対話する相手は、身分の高い人ばかりではない。
「礼法を伝える名家の伊勢貞宗や教養ある大名の大内政弘など身分のある人も招きますが、口は下手でも腕は確かな職人を好んで山荘に迎えます。世渡り上手で評判のいい人に疑問を感じているので、花なら池坊のほうが有名なのに立阿弥を迎えますし、庭なら高名な善阿弥の弟子の小四郎などに興味を持って客として招きます。誰もが知っている有名人ばかり登場させたほうが話題になるのかもしれないけれど、義政の気持ちを考えるとそういうことはできません(笑)」
どこまでも義政に寄り添う九島さんは、無能の将軍という評価にも違和感を抱いている。