ノンフィクション作家の澤地久枝さんに聞く、生き方を決めた一冊。
撮影・青木和義 文・寺田和代
勇ましさとは無縁の軍隊の現実。 一大ロマンス小説の面白さも。
1972年、41歳の時に澤地さんは『妻たちの二・二六事件』でデビュー、本格的な執筆活動に入った。どの作品にも通底するテーマは、国や戦争に翻弄されてなお真摯に生きた無名の人たちの生涯を歴史の中に書き留めること。
「戦争は市井の一人ひとりに癒やしがたい傷を残し、それぞれの運命を大きく変えてしまいます。戦争に抗うために自分に何ができるか、という気持ちに五味川さんと通ずるものがあったのだと思います。彼もまた、勇ましさとは無縁の軍隊と戦争の現実を丹念に描写しました。そのことは『人間の條件』の読みどころの一つ、軍隊の実像が実によく書かれている点に表れています。軍隊という組織は徹底して上意下達の秩序と形式の社会です。毛布一枚畳むのも真四角の箱のようにしなければならない。個人という概念が入りこむ余地はありません。ある登場人物は元新聞記者のインテリで気が弱く、軍隊生活には到底なじめない。彼は上等兵クラスの中間管理職から束になっていじめ抜かれ、結局、自分に銃口を向けてしまう。敵との戦い以上に同胞間のいじめや飢えや寒さで命を落とし、敗残行では強奪や強姦を繰り返す無残な現実が緻密に描かれています」
もうひとつの読みどころは梶と美千子の一大ラブストーリーとしての側面。「冒頭3分の1ほどは夫婦のラブストーリーです。これほど愛し合っている二人が国や戦争によって理不尽に引き離され、あっけなく失われていく切実さ。人と人の関係や愛情はいつの時代も変わりませんから、戦争への想像力を失った今の人たちの心にも、きっと響くものがあるでしょう」
なぜこの作品を書いたのか、五味川さんに尋ねたことがある。「『自分たち世代の前に戦争があったのに(それを避ける)教訓は生かされず、苦しくバカげた時代を繰り返してしまった。自分たちが通ってきたのと同じことが、今また若い人の身に起きそうな気がするからだ』と。今よりはるかに反戦ムードが強かった1950年代の終わりですよ。その時代に、五味川さんはもうそう感じていらしたんです」
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