【後編】作家・山本一力さんが語る食パンの魅力。
撮影・清水朝子 文・一澤ひらり
山本家の朝食に欠かせないトーストは、一力さんと英利子さんが「ばあちゃんパン」と呼んでいる店の食パンだ。その店とは東京・浅草にある『ブーランジェ ボワ・ブローニュ』。夫妻はこの長い店名が覚えられず、朝9時半から夜10時まで一日中店番をしている白髪の女性の可愛い笑顔に魅せられて、失礼とは思いつつも、親しみを込めて「ばあちゃんパン」と呼んでいる。
「高齢のご夫妻がパンを売っていて、下町情緒たっぷりのお店なんです。パンを作る工房は別にあるみたいなんですけど、とても繁盛していていつも忙しそう。誠実に一生懸命働いているおふたりの姿を見ていると、自分たちの仕事はまだまだ甘い。もっと働けるよねって、すごく励まされるんです」
と話す英利子さんに、
「本当にそうだね。この店は一緒にヨガに行った帰り、俺が浅草でサウナの垢スリに行くときに見つけて、まだこんな店が残っていたのかってびっくりしてさ。ぶどうパンなんて、実直なパンそのもの。切り口から干しぶどうがこぼれ落ちてくるからね」
と顔をほころばす一力さん。
この店の天然酵母使用のぶどうパンは、ぶどうから1週間かけてできる天然熟成の酵母を使って、毎週火・金・土曜の3日間だけ焼いている自信の逸品。レーズンの配合はパン生地を上回る60%! ぎっしり詰まってズッシリ重たいが、赤ワインに浸しているのでジューシーで、酸味がほどよく効いてスッキリとした甘さが特徴だ。
「レーズンがいっぱいで切りにくいパンをナイフで切ってくれるんです。最初スライサーで切っているのかと思ったぐらい、切り口がきれい。その丁寧さがまたうれしくて」(英利子さん)
「パンにも人柄があるんだよ。人の口に入るものだから、人柄が悪い店ではいくらうまいっていってもダメなんだ。寒空に長蛇の列を並ばせて平気な店には行きたくない。この店はまかり間違ってもそんなことしないよ。どれだけ人が混んでいても、一人ひとりに丁寧な応対をしてくれるからね」
どんなに評判高く高級な食パンよりも、1斤250円の「ばあちゃんパン」のほうが絶対おいしいと、力説する一力さん。
「食パンの魅力はまさにあのじいちゃんばあちゃんの笑顔。控えめで思いやりのあるやさしい味にあるんだ。パンによってはものすごく主張があるじゃないか。小麦粉は何々を使ってどうたらこうたらって。この店にはそういう押しつけがましさがまったくない。ただ自分の店のパンを愛して大事にしているから、海苔トーストにしてもメープルクリームにしても、ちゃんと間合いを保って喧嘩せず、ハーモニーを奏でられるパンになっているんだよね」
創業約40年。名物のぶどうパンをはじめ、惣菜パンや菓子パンなど50種類ほどが並ぶ。浅草橋にある工房(こちらにも店舗を併設)からパンが運ばれてくるが、一番豊富に品数がそろうのは昼時。アットホームな雰囲気とレトロな佇まい、夜10時まで開いているのも人気の秘密。
ブーランジェ・ボワ・ブローニュ 東京都台東区西浅草1・2・2 ☎︎03・3844・1045 賚9時30分~22時 日曜・祝日休 地下鉄銀座線田原町駅から徒歩1分ほど。
『クロワッサン』943号より
●山本一力さん 作家、山本英利子さん 主婦/『あかね空』で直木賞を受賞し、「ジョン・マン」シリーズなどで人気の山本一力さんと、26歳のときに結婚した英利子さん。以来、18歳年上の夫の仕事をサポートして、取材旅行にも同伴、自炊のための道具持参で夫の食生活に気を配る日々。
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