娘の病気と両親の看取り。「助けたい」だけで走り続けた──髙橋直子さん 人生をひらくケア(1)
撮影・濱津和貴 構成&文・殿井悠子
「できることは、すべてやったと思っています」
そう言い切るのは、昨年春にアパレルブランド「zutto matsurika」を立ち上げた髙橋直子さんだ。難病のある娘を育てながら、両親の介護と看取りを経験してきた。
母は2020年12月、コロナ禍のなかでほとんど面会もできないまま急逝した。近所だからという理由で選んだ施設だったが、介護職員の母への対応に納得できなかった。「施設が違えば、母はもっと長生きできたのではないか」。後悔は今も、胸に残っているという。そしてその2年後、今度は父が大腸がんを患い、「余命週単位」と告げられた。
「私から、お父さんまでとらないで……!」
髙橋さんは諦めきれず、セカンドオピニオンを受け、転院を決めた。そこでは、最初の病院では断られた抗がん剤治療を受けることができ、父はその後、2年を生きた。
「若い頃は、お父さんとはウマが合わなかった」と、髙橋さんは振り返る。でも晩年は、娘の輝莉ちゃんの病気に悩む髙橋さんの一番の理解者だった。
「一番つらいのはお前だよな」
輝莉ちゃんの難病がわかったとき、父からかけられたその言葉は、今も髙橋さんを支えている。
立て続いて両親の介護をした頃、輝莉ちゃんの体にも違和感が現れ始めていた。2歳になってもうまく座れず、なかなか歩けない。何度も病院に通ったが、検査でははっきりとした異常は見つからない。「何かおかしい」と感じながらも、理由がわからない状態が続くことが、何よりつらかったという。
「誰かに相談する、という発想がそもそもなかったんです。母親なんだから、私が頑張らなきゃいけないと思っていました」
周囲に心配をかけたくない。かわいそうだと思われたくない。そんな思いから、娘のことを誰にも話せずにいた。当時の職場では普段どおりに振る舞い、家では気丈な母親でいようとした。けれど夜になると、一人で涙が止まらなくなる日もあった。
仕事と育児、介護が同時に重なった数年間。時間も気持ちも、常にぎりぎりだったという。そんななかで髙橋さんを動かしていたのは、「大切な家族を助けたい」という思いだ。
「あのときは、止まるという選択肢がなかった。なんとしても助ける、ただ、それだけで走り続けていたと思います」
この「助けたい」という強い思いが、やがて髙橋さんの人生を大きく動かしていくことになる。(続く)
『クロワッサン』1160号より
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