『今を春べと』奥田亜希子 著──大人になって新たな趣味を始めると……
文字から栄養。ライター・瀧井朝世さんの、よりすぐり読書日記。
文・瀧井朝世
大人になってから夢中になれるものを見つけると、家族や周囲との齟齬が生まれることがある。本書の主人公の希海もそうだ。三十九歳の彼女は、ママ友に誘われ幼稚園児の息子をかるたの教室へ連れていく。母子ともども夢中になるが、小学校に入ると息子の興味はサッカーへ。希海は迷った末に、大人向けのかるた教室へ入会し、競技かるたの面白さにはまっていく。でも家では、夫と息子はサッカーの話ばかりで、かるたには興味を示さない。希海自身も、息子の練習に付き添えないことにうしろめたさはある。でも、彼女にとってかるたは、久々に始めた新しいことであり、夢中になれることであり、自分が進歩していくことが実感できる趣味なのだ。
もちろん競技かるたのルールや戦術なども盛り込まれて興味がわくが、希海の心の機微が丁寧に描かれるのが本作の魅力。彼女の場合、子どもがもっと成長してからでいいじゃないかと思われそう(実際、夫にそう言われる)。でも、やろうと思えばできる「今やりたいこと」をできないと心の折り合いがつかない時もある。家族が互いにそれぞれの「やりたいこと」を尊重できるようになれるのか。家族、夫婦の物語としても読ませる。
『クロワッサン』1155号より
広告