【女の新聞 100年を生きる】浜野佐知さん──キナ臭さや排外主義が広がる社会に“金子文子”という爆弾を投げ込む
撮影&文・寺田和代
今秋、あいち国際女性映画祭2025に最新作『金子文子 何が私をこうさせたか』(来年2月公開予定)を出品し「今この時代に文子を投げ込む」決意を語った浜野佐知監督。作品に込めた覚悟とは。
金子文子は1903年に生まれ、壮絶な生い立ちを経て自らの生に自由と尊厳を取り戻すために政治的思想を構築した実在の人物。やがて朝鮮の思想家・朴烈とともに皇太子襲撃計画を立てたことから大逆罪に問われ、23歳で獄中にて自死した。その軌跡をなぜ今?
「文子の名は知っていましたが、同じく思想犯として虐殺された伊藤野枝、死刑になった管野スガの劇的さの陰に隠れがちでした。その存在が急浮上したのは’98年、復刻された手記を読んだ時。悲惨な境遇で育った彼女が思想と出合い、自らを見出した過程に、高校を出て男社会の映画界に飛び込んだ自分がピタッと」
その少し前、東京国際女性映画祭で“日本で最も多く(6本)の劇映画を撮った女性監督は田中絹代監督”と発表されたことにも衝撃を受けていた。
「ピンク映画といえども200本以上、監督として30年近く泥の中を這うように積んだ私のキャリアは無きものに。あの時“おまえは生きていないと言われても、私は生きてここにいる”という文子の言葉が重なった。あたしじゃん!て」
文子に背中を押されるように’98年『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』を制作し、今に続く一般映画路線へ。2017年に公開された朴烈と文子の恋愛をテーマにした韓国映画を観て、いよいよ覚悟を決めた。
「女の一大ロマンスでは文子は浮かばれない。朴烈から切り離し、孤高の思想家かつ国家権力への屈せざる抵抗者だった姿を描こうと」
裁判記録や予審調書などから組んだ物語の骨格に、創作した獄中エピソードで肉付けしていった。
「手掛かりは本人が獄中で綴った短歌。女看守や女囚らとのシスターフッド(女同士の精神的紐帯)には私自身の文子への敬意と鎮魂も」
何といっても圧倒されるのは、帝国主義や植民地主義にひた走る国を相手に若い女が闘い続けた姿だ。
「権力を笠に着、それにしがみつく男どもが束になってもひるまない個の尊さ。権力対シスターフッド。最も描きたかったことでした」
没後約100年の今、社会には再びキナ臭さや排外主義が広がる。
「本作は今に放つ爆弾。権力側の男性に投げた弾は爆発し、女性にはその人自身の武器になれたら」
クランクアップ後、キャストの1人で、過去6本の浜野作品に登場した吉行和子さんを見送った。
「背を押し続けてくれた人。半身を失ったよう。でもきっと作品の行方を見守ってくださるでしょう」
文子と吉行さんに勇気と自信を注入されて、いよいよ来春、日本に、世界に、作品を問うていく。
『金子文子 何が私をこうさせたか』あらすじ
無戸籍のまま親に捨てられ、無籍者として育った金子文子。9歳で朝鮮半島に住む祖母に引き取られたものの虐待を受け、16歳で帰国。苦学しながら政治思想に出合い、無政府主義から虚無主義に傾倒。1923年に検束され、大逆罪で死刑判決。その後無期となるも’26年に自死。没年23歳。文子はなぜ自死したのか。裁判資料と、本人が遺した短歌をもとに、死刑判決から自死に至る121日間の文子の闘いを描く。 2026年2月28日より東京・ユーロスペースほか全国順次公開。
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『クロワッサン』1153号より
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