【女の新聞 100年を生きる】北別府広美さん──夫の遺志を継ぎ、野球がしたくてもできない子どもに野球道具を届ける
撮影・土佐麻理子 文・寺田和代
夫の北別府学さんはかつて広島カープで一時代を築いた名投手。1994年の現役引退後は野球解説者として活躍し、2012年には野球殿堂入りを果たすなど野球人としてスター街道を駆け抜けたのち、2023年に白血病のため65歳の若さでこの世を去った。
「ファンや関係者の皆さんと思い出を語り合うたび涙、涙。1年が経つころにふと、夫の遺志を継ぐことをこの先、私の使命にしようと」
一般社団法人「Next Playerʼs Foundation」を立ち上げ、野球をしたくてもできない子どもたちに野球道具を届ける活動に取り組む北別府広美さんだ。心にあったのは、かつてフィリピンの貧困地区で野球教室を主宰した学さんが「逆境から悪の道に行きかけた少年が野球に出合い、不良グループを離れて懸命に生きている。その子がさらに小さな子たちの希望にもなってるんだ」と目を輝かせて語った姿。その時の広美さんにしてみれば、そう語る学さんの変化こそを天からの贈り物のように感じていた。
「試合に勝ち、広島市民を喜ばせるためには、家族も犠牲にするほど野球一筋の人でした」
結婚当初から夫は球団を背負って立つスターだった。3人の子の子育てや家事一切は妻任せ。毎日定刻に完璧な料理が整うことを求め、一つでも間違うと食卓をひっくり返さんばかりに怒った。一家団欒など夢のまた夢。頭の中は試合のことばかりで勝利を邪魔する者は家族でも許さない、という学さんの殺気を母子4人で受け止めていた。
「夫の衣食住を整え、気持ちよく仕事に送り出せれば彼もいい仕事ができる。それでいいと。夫婦、父子の温かな関係は全員諦めていたし、彼も求めていませんでした」
その人が“生まれ変わった”のは野球殿堂入りをした2012年。
「人や社会の役に立てる生き方をしなきゃ、と。北別府学という人には一生近づけないほどの距離を感じてきたのが、それを機に家族とホンネで向き合うようになって」
夫との買い物、外食、旅行……すべてが初めてだった。2人で出かける姿を見た長女が「“お父さんとお母さん”になってる!」と喜んでくれた笑顔が忘れられない。
「夫の優しさに出合い、初めて“惚れた”状態に。その時から本当の夫婦、家族の関係になりました」
2020年、学さんは病名を公表。家での闘病を望む本人の希望に沿って家族一丸で支え切った。
広美さんは、夫の仕事を理解しようと去年初めて自分でチケットを買い、一人でカープ戦を観戦した。
「選手の姿に夫が重なって視界が滲みっぱなし。観客の皆さんがこんなふうに試合を楽しみ、勝利を喜んでくださっていたんだと。彼を少し理解できたと思いました」。落とし前がついた。そんな気がした。
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マガジンハウス クロワッサン編集部「女の新聞」係
『クロワッサン』1149号より
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