『湖まで』著者 大崎清夏さんインタビュー ──「自然の中でひとりになれば安心を得られる」
撮影・園山友基 文・堀越和幸
〈身体のまんなかのところに、大きな湖がある。〉──これは詩人の大崎清夏さんによる初めての連作小説『湖まで』の冒頭作「湖畔に暮らす」の書き出しだ。主人公の宝子はひとりで出かけるほどの山好きだ。ある日、宝子はSNSをきっかけに知り合った珠季さんに誘われて奥多摩の民宿に赴く。宝子の中に宿った湖は凪いでいる時もあれば風に波打つこともあり、くるくる表情を変える。一方で、山に登ると宝子は必ず霧に見舞われる。5編の連作は、自然が舞台装置となっているのがほとんどだ。
「人間が他の動物よりも優位という考え方に子どもの頃から疑問に思う節がありました。小説も詩もそうしたところが自分の創作の原点になっているような気がします」
自身も9年ほど海の近くに住み、今年に入ってからは山の暮らしをゆるゆると開始した。
「いろいろ大変なこともありますが、山で過ごす一日の生活リズムはやっぱり気持ちがいいです」
受け入れても受け入れなくても自然の営みは変わらない
自然について考える時、大崎さんの頭には“免疫”というキーワードが浮かぶ。どういうことか?
「作品には、宝子の職場の地域文化センターにやってくるサカマキさんという中年男性がいて、陰ではみんなに疎まれているのですが、ある日宝子は“この人はまるで霧みたいに現れるな”と思うことでちょっとだけ愛しく感じてしまいます。免疫とは自分が何を受け入れられるかを体が選ぶシステムですが、受け入れられるものが多くなると、人はもっと楽に生きていけるんじゃないかなと」
山に霧が出ると当初はうんざりしていた宝子だが、いつしか霧にも親しみを抱くようになり……。
「自分自身も年を重ねるにつれて、年々受け入れられることが多くなった気がしています。10代、20代の頃は人と挨拶するのさえ怖かったのに今は平気。山やそこで暮らす人々のおかげかもしれません」
受け入れても受け入れなくとも、自然が移ろうことに変わりはない。人間にはそれを止めることができない。宝子が身体の中に宿している湖とは、つまりはそういうものの象徴、と大崎さんは語る。
「私は焦ったり、焦らせたりすることがすごく苦手で、できればどんなに時間がかかってもいいから納得しながら生きていきたい。小説では、湖だけは社会や対人関係がもたらす焦りを感じなくていい場所として書いたつもりです。自然の中でひとりになれたら、それが安心に繋がるんです」
実は小説を書くことにはずっとコンプレックスがあった。それは自分の中に小説とはかくあるべし、という固定観念があったから。
「それが本作では、小説を書く楽しさを発見してしまいました」
5編の小編は登場人物がふんわり繋がって連作になっている。疎んじられていたサカマキさんは他の作品ではどんな登場の仕方をするのか? そんなことに注意しながら読み進めても面白い小説だ。
『クロワッサン』1149号より
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