考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』26話 蔦重(横浜流星)、てい(橋本愛)に告白「俺が俺のためだけに目利きした、俺のたった一人の女房でさ」…涙から生まれた絵師・千代女とは?
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
田沼意次の焦り
「米がない」「米の値が昨年の倍」
26話は、令和の今を反映したかのような台詞がちりばめられた。蔦重(横浜流星)ら登場人物は米の値に翻弄される。
まずはじめに、江戸時代の米事情について述べておきたい。江戸庶民の生活を記録した『守貞漫稿』(天保8年/1837年~慶応3年/1867年)には、一般的に成人男性で一日5合もの米を食べたとある。白飯メインの食生活。ちなみに、建築現場で働く鳶職人の日当が300文だ。これを念頭に天明の米騒動を見てみよう。
天明3年(1783年)秋、米の値は100文6合。前年の倍という高騰ぶりに、江戸の町には幕府の政治を皮肉る落首が溢れた。
この上はなほたぬまるる度毎にめった取り込むとのも家来も
(田沼意次とその家来は頼み事を受ける度、滅多やたらに賄賂を取り込む※「たぬまるる」と「田沼」、「とのも」と田沼意次の官職「主殿頭/とのものかみ」を掛けている)
田に沼を変える手妻で六合の米を得させて消ゆる百文
(田に沼を変える手品。その術で我々の懐から100文という金を消して6合の米に変えた)
田沼意次(渡辺謙)が標的とされたものばかり。これを面白がって読み上げ、意次に叱られた三浦庄司(原田泰造)が「これまでは笑っておられたではありませぬか」と驚くところを見ると、今までの意次は成り上がりや賄賂について揶揄されても動じなかったのだろう。その意次が「こたびはいつもと違う。なんとかせねば俺は終わりだ!」と苛立ちを隠さない。
おそらくだが、意次の焦りには先の9代将軍・家重時代に起こった郡上一揆が関係している。
宝暦年間、美濃国郡上(現在の岐阜県郡上市)で起こった大規模な百姓一揆は、江戸幕府のトップである老中、若年寄らの失脚にまで繋がった。意次の領地・遠江相良は、この時失脚した若年寄・本多忠央から召し上げたものである。
当時、郡上一揆の詮議に関わった功績により、その手腕を認められ大きく出世した意次は、困窮した民衆の怒りが為政者に及ぼす影響をよく知っているのだ。
意次を糾弾するのは江戸の民衆だけではない。徳川治貞(高橋英樹)──紀州の麒麟と讃えられた紀伊徳川家当主も「どういうことだ。田沼主殿頭!」と名指しで米価格高騰について問いただす。
「足軽上がりが、かような世を作り出した責めをどう負うつもりか」
徳川治貞は紀州徳川家出身の8代将軍・徳川吉宗を敬愛し、吉宗の享保の改革に倣って倹約で藩の財政立て直しを図った。自らも質素倹約に努めたという。
そんな治貞からすれば、意次の進めてきた重商主義政策は「足軽上がり」の愚策に見えているのだろう。
上から叱責され下から突き上げられ。田沼意次、万事休す。そんな父を嫡男・意知(宮沢氷魚)が気遣わしげに見つめている。
入れっ! ベラバアめ!
日本橋耕書堂、大店の主人となった蔦重(横浜流星)も、米の値上がりに頭を悩ませていた。妻のてい(橋本愛)に、
「奉公人の係り(経費)ってこんなにするんですか」
と、こぼす。奉公人は住み込みであり、皆の食事はすべて雇い主が賄う習わしだ。
25話(記事はこちら)で柏原屋(川畑泰史)が「江戸では米の値がえらいことになるから」と出店中止したのは、米価格高騰により人件費、厚生費が経営を圧迫すると予想してのことだった。
手代(商品管理、接客などを担当する男性)と丁稚(でっち/雑用に従事する少年)の奉公人以外に、耕書堂には蔦重を慕って絵師、狂歌師、戯作者が集まってくる。彼らは奉公人以上に飯をモリモリ食べる。吉原でのおもてなし、遊興もある。
膨れ上がる接待交際費の負担を問題視するてい。だが作家が集ってくれて初めて面白い作品が生まれるとなれば、この経費を削るわけにはいかない。と、悩ましい表情で食事する彼らを見ていた蔦重が、突然目をむいて怒り出した。
「ババア、出てけ!」
戯作者に交じって白飯を頬張っていた女をつまみ出そうとする。いつも人当たりのよい蔦重に似合わぬ勢いに、あっけにとられる面々。抵抗した女が、
「おっかさんを捨てんのかい!?」
お、おっかさん? 蔦重の母? つよ(高岡早紀)である。その場にいた全員が更にポカーンとする。真っ先に冷静さを取り戻したのはていだった。
てい「僭越ではございますが『孝行したいときに親はなし』と申します。『鳩に三枝の礼あり、烏に反哺(はんぽ)の礼あり(鳩は親鳥よりも三つ下の枝に止まり、烏は年を取った親鳥の口に餌を運ぶ)』と申します」
蔦重に親孝行を説く。主人に忠を、親に孝を尽くすべきという儒教の思想は、江戸時代の人々に深く根差していた。これを持ち出されたら抗えない。
「入れっ! ベラバアめ!」
べらぼうなババア、ベラバア。
この場面では、つよの髪型に注目したい。髪を束ねて巻貝のように巻き上げ、簪(かんざし)を垂直に挿して留める「貝髷(ばいまげ)」だ。
喜多川歌麿『婦人手業拾二工・髪結』に描かれた女髪結と同じ髪型。これから先、歌麿(染谷将太)が身近にいる女性たちをモデルに名作を描いてゆくのかと思うとワクワクする。
そう、つよは女髪結だ。蔦重とていに「皆の髪はアタシが結うよ。そしたら倹約になるだろ?」と提案する。地本問屋は接客業。主人夫婦も奉公人も、見苦しい姿で客前に出るわけにはいかない、整髪は必須だ。当時の洗髪は月に1回~2回、洗髪後に髪結を依頼する。
髪結の代金は一回200文程度だったという。この経費がこれからずっと浮くのであれば、つよの言葉通りかなりの倹約になる。店を切り盛りするていにとっては願ってもない申し出だ。
つよはまんまと、耕書堂に身を寄せることができた。
主人公を捨てていった母親の帰還。重苦しい回になるかと思ったら、蔦重とつよのポンポン言い合うやり取りと、明るくしたたかなつよの人物描写でカラリとした話になっている。
ていの提案
蔦重「あのババア、人の懐に入るの恐ろしく上手くないですか」
育ての親、駿河屋市右衛門(高橋克実)ふじ(飯島直子)に実母帰還の報告を兼ねて言う。
自覚ないだろうけど蔦重、母親そっくりだよ? と言わずに「おつよさんは人たらしで評判だったからねえ」と笑うふじさんが優しい。
蔦重が帰宅すると、つよが耕書堂の奥の間に髪結の客を引っ張ってきていた。ていに錦絵を持って来させて、客に見せる。結ってもらっている間は手持無沙汰だから、錦絵や書物を眺められるサービスは嬉しい。現代でも、美容院と雑誌(最近はタブレットも多い)は切っても切れない関係だ。
日本橋は全国から商人が集まる。長旅で髪が乱れているのを無料で直すからと案内して、結い直しの間に耕書堂の出版物を売り込もうというつよのアイデアだ。それを蔦重も一目で察して、錦絵をとっかかりに、黄表紙本、往来物と次々に紹介してゆく。日本橋で手に入る錦絵と書物は、江戸土産として人気があった。
母息子の見事な連携プレイと、蔦重の立て板に水の如きセールストークに、瞠目するてい。
蔦重のセールストークを店の者全員ができれば売り上げが伸びるだろうと考えたていは、「品の系図」を作ってはどうかと提案し、「そりゃいいや。ぜひ作って」と蔦重から制作を任される。
取り掛かってはみたが、膨大な数、ジャンルも多岐にわたる出版物を前に作業は難航。様子を覗いた歌麿が「作品を内容で繋げてみたらどうです」「作者と絵師は印にしちゃどうです」とアドバイスした。絵師ならではのデザインセンスに、ていは驚かされる。
また別の日には、蔦重に米の値を下げる案はないかと訊ねてきた田沼意知(宮沢氷魚)を、会話の内容から幕府の中枢にいる武家だと悟ったてい。蔦重は幕府重要人物と直接繋がっている商人なのかとまた驚く。
商売、絵、戯作。それぞれの天才が集結する耕書堂で、静かに心折れてゆくていの姿に泣いてしまう。おていちゃん、落ち込まないで。周りにバケモノ級の才能の持ち主が複数いるだけだから! あなたは素晴らしい人だから!
本当は米なんて余りまくってるんだろうな
蔦重は、駿河屋市右衛門に紹介された札差(米の売買仲介業者)と面談する。大田南畝(四方赤良/桐谷健太)ファンである札差・大引赤蔵(林家たい平)を吉原で接待し、赤良直筆の狂歌扇をプレゼント。この扇には、
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平『古今和歌集』)
(この世に桜がなければ、春を過ごす人の心はどんなにのどかなことでしょう。桜の花は人を穏やかにさせておかないものです)
これを本歌にした
世の中にたえて女のなかりせば男の心はのどけからまし(四方赤良)
(この世に女がいなければ、男はのどかに過ごせたのでしょうね。女は男の心をざわつかせるものですよ)
なんとも粋な狂歌が記されていた。大引がご機嫌になったところで、耕書堂で皆が食べる米を安く、去年の値段ほどで仕入れたいと交渉する。
大引「一昨年の米ならもっと安く卸せるぞ?」 一昨年の米……古古米ですか!? 賄い飯だから古古米でも構わない。交渉成立したのはいいものの、大引の蔵から次々と運び出される米俵を眺めて、大田南畝は複雑な感情を吐露する。
「本当は米なんて余りまくってるんだろうな」「米を持ってる連中が売り惜しみして、値を吊り上げてるってことなんじゃないか」
はたして、米は余りまくっているのかどうか。この年の前年、天明2年の暖冬で東北地方では雪が積もらず、天明3年春には渇水が見られたという。そこに岩木山、浅間山の噴火による降灰被害と噴煙による日射量低下。農作物には壊滅的な被害が出ていたが、東北地方の悲惨な状況は、江戸の庶民までは届いていない。あくまでも、この時点では。
街角には、政府の指示通りの価格で売る米屋に長蛇の列。並んでも買えなかった客に米屋が責められている。その様子にため息をつく南畝と蔦重。
蔦重「俺らに何かできることはねえですかね」「米に困っちゃ本なんて買ってもらえねえだろうし」
そう。生活で苦しんでいる人々は、娯楽、エンターテイメントにお金も時間も割けない。文化的に豊かな社会は、衣食住の暮らしが満たされてこそだ。
蔦重は、言霊の力で米に困らない世を招こうと、正月におめでたい狂歌集を出すことを思いついた。絵もどーんと載せて、黄表紙仕立ての狂歌集にすると。
蔦重「俺たちは米ひとつぶ作れねえこの世の役立たずじゃねえか。そんな俺たちができることってなぁ、天に向かって言霊投げつけることだけだろ?」
蔦重のこの台詞には、レビュー23回(記事はこちら)で触れた、救荒書『民間備荒録』(明和8年/1771年刊行)の影響が窺える。著者の医師・建部清庵は「自分には鍬で作物を生む力はない。こうして日々を送れるのも、農民の働きのおかげである。その恩に報いるために記す」と書いた。
25話の灰捨て競争に『太閤記』を感じたのと同じく、蔦重の言動には生きてきた過程で読んだ本、血肉となった書籍が見えるのだ。
ところで、この場面には、狂歌師・宿屋飯盛(やどやのめしもり/又吉直樹)がサラッと登場している。蔦重の人生に深く関わる人物だが、あまりにもさりげなく画面に入ってきたのでそうは見えない。ついでにいえば、髪型が違うとパッと見では又吉直樹だとわからない。
おめでとう、蔦重、おていちゃん
蔦重が正月に向けて突貫工事で制作にとりかかった狂歌集『金平子供遊(きんぴらこどもあそび)』の原稿ができあがったその日。ていが書き置きを残して耕書堂を出て行った。
任された「品の系図」を見事に仕上げて──。出家するに違いないと思い当たり、後を追って止める蔦重。
ていは耕集堂に集う天才たちに比べ、自分はつまらない女だと卑下し、
「蔦屋の女将にはもっと華やかで、才長けた……例えば、吉原一の花魁を張れるような御方がふさわしいと存じます」
この台詞で、視聴者も蔦重も瀬川(小芝風花)を思い出したはずだ。それでも、蔦重はこう言うのだ。
「出会っちまったって思ったんでさ。俺と同じ考えで、同じ辛さを味わってきた人がいたって」「おていさんは俺が俺のためだけに目利きした、俺のたった一人の女房でさ」
ていが本屋として「書を以て世の中を豊かにする」大志を抱く人だと知った時から、愛する人との別れ、失う悲しみを経験した人とわかった時から。蔦重はていと一生連れ添う、どんなことがあっても共に乗り越えてゆける伴侶に決めたのだ。三度の求婚を経て、蔦重とていはついに真の夫婦となった。
おめでとう、蔦重、おていちゃん。
「よかったな、蔦重……。よかった」
枕を涙で濡らしながら祝福する歌麿が切ない。
しみじみした場面だけど、あの、すみません。つよさんは歌麿の気持ちに勘づいたのなら部屋を代わってやってくれませんか! いや、姑が全部が丸聞こえの隣室にいるというのも微妙か。歌麿はいつ幸せになるんですか。歌麿招福祈願する。
喜多川千代女
歌麿は、思いが叶わなくても、蔦重にとってなくてはならない絵師として傍にいようと決めた。『金平子供遊』の絵に記されたのは「哥麿門人 千代女画」。
歌麿「生まれ変わるなら女がいいからさ」
喜多川千代女は、天明4年~5年の間だけ耕書堂の黄表紙にその名が見られる以外、ほとんど何もわからない人物だ。歌麿の妻という説、その絵の特徴から歌麿本人という説がある。
26話のサブタイトルは『三人の女』。つよ、てい、そして千代女。こう来たかと脚本の面白さに唸った。
それにしても、歌麿本人が千代女と名乗る経緯をこのように創作したのなら、喜多川千代女が消える時をどう描くのか。これからが気になる。
一方その頃、江戸城内では。蔦重の言葉からヒントを得た意知が、米の株仲間暫定廃止と米の売買自由化を提案していた。一旦は難局を乗り切り、江戸城内を闊歩する田沼親子。若き閣僚として前途洋々の意知を見つめるふたりの男──松前廣年(ひょうろく)と佐野政言(矢本悠馬)。
光に向かって歩く人間は、己の背後に伸びる黒い影を知らない。
次週予告。佐野に突然光が当たる。誰袖(福原遥)が花魁姿じゃないぞ! 鷹狩。桜。江戸城内での抜刀。花の下にて……天明4年の春、ここから全てが崩れゆく!
27話、楽しみだけど怖いです。
※ドラマレビュー27回は7月26日㈯公開予定です
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、高橋克実、渡辺謙、染谷将太、橋本愛 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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