枝元なほみさん「病気でもできる様々な活動を発信するのが今の私の仕事」
撮影・黒川ひろみ 文・板倉みきこ
※料理研究家の枝元なほみさんは、2025年2月27日にお亡くなりになりました。
本記事は、2024年8月に撮影・取材させていただいたものです。
ご生前のご功績を偲び、心より哀悼の意を表します。
料理も工夫して作ってますよ! 食べることは生きることだから
枝元なほみさん(69歳 料理家)
自由な発想で、心まで豊かになる家庭料理を提案してきた料理研究家の枝元なほみさんが、難病の特発性間質性肺炎に罹患したと診断されたのが2019年のこと。
「父親と弟も最後は同じ病気で亡くなっているので、いよいよ私にもきちゃったのか〜って。でも、当時は症状もほとんどなく、薬も酸素吸入も不要とお医者さんに言われたので、それなら自分の好きにやりたいことをやろう!と」
枝元さんの現在の活動の柱とも言える、フードロスと貧困問題の解決に挑む社会貢献は、病気の判明以降本格的に熱を帯びていった。2020年、売れ残りそうなパンを引き取って販売するプロジェクト『夜のパン屋さん』や食事の支援『大人食堂』をスタートさせ、2022年には、あらゆる人の交流を生む場としてカフェも開いた。
「社会貢献って言葉にすると小難しく聞こえるけど、『それおかしいな』『ここが変わるといいな』と思ったことを行動に移していったら、みんなが助けてくれたり、一緒に遊んでくれている感じ。そういう関係でいられるのがいいんだよね」
ただ、2023年にコロナに感染したことで病状が悪化。今までどおりに活動することが困難になり、日常生活も変わった。
「今はね、自分のご飯を作るのがリハビリみたいな感じです。でも、食べようって思うことがすごく大事。生きるエネルギーになるんですよね」
今回、撮影のために用意してくれたのが、ひとりご飯用の常備菜。
「久しぶりに自分が作った料理を撮影してもらえるって思ったら、うれしくなって張り切っちゃった(笑)」
まな板や鍋を軽いものに替えるなど、調理の負担はなるべく減らし、症状が落ち着いている時に、ある程度の量をまとめて作っているそう。
「レンジで調理できるとか、なるべく包丁を使わなくてもいいように、とか、今の自分にできる範囲を模索しながらやっています。でも、料理をすること自体がやっぱり楽しいの。食べたいものを食べるって大事だよね」
今の自分だからできることを、どんどん発信していきたい
周囲に助けてもらうことが多くなったおかげで、気づいたこともある。
「なんでも自分でどんどんやっちゃうのが好きだったけど、人に頼むのも上手になった。でも、できること、できないことが人それぞれにあるのが普通。病気がどうとか関係なく、助けたり助けられたりって関係性が当たり前なんだよなって思えるようになりました」
普段元気なイメージの人ほど、闘病中の自分の姿を人に見られたくないと考えそうだが、枝元さんは違う。
「今の私にできるのは、病気をしながらでも、何かやれることはあるんだよって発信していくことかな……と。同じような境遇にある人に、私も大丈夫だって感じてもらえたらうれしい。外に出られないなりに、与えられた環境の中で人と繋がっていく方法は、必ずあるんじゃないかって思っています」
料理を作る、美味しく食べる、自分時間を楽しむために。
煮込み料理はひとり用の軽い鍋に替えて
「煮込み料理は重い鍋のほうがやっぱり美味しくできるけど、今使うと手首を骨折しちゃいそう(笑)」。
手前の野田琺瑯のひとり用鍋を購入、煮込みやうどんなどを作っている。
まな板を軽くして、調理の機能性アップ
以前使用していたまな板は厚さ3cm程度(下)で、現在愛用のまな板は厚さ1cm程度。薄型でも包丁のあたりは良く、軽くて乾きやすいのが特徴。
省力、省エネになる調理法で
洗い物や手間が少なくなる調理法を積極的に取り入れて。保冷袋に入れて冷凍したパセリは、軽く揉むだけで細かくほぐれる。包丁やまな板を使わずにできて楽チン。
食べたい時に食べる、自分のための惣菜
左上から時計回りに。鶏そぼろ。酢浸けのミョウガの浸け汁はご飯にかければ酢飯になる。缶詰の鯖をパセリやニンニク、スパイスで炒めたものはパスタの具にも使える。
陶磁器のお皿は重いので、木製に変更
軽く、落としても割れないので扱いがラク。木製のお皿をサイズ違いで買い足した。
「ひと晩水につけて歪んじゃったことも(笑)」
逆に元気な時には陶磁器を使うのが楽しみに。
手を動かして何かを作るのが大好き
菓子の空き箱などを使ってしおりを作製。
「無心になれてすごく楽しい時間。本の販売イベントで配布してもらう予定なので、とにかくいっぱい作っています」
『クロワッサン』1126号より
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