麻倉未稀さん「乳がんを公表したことで広がった縁に感謝しています」
撮影・天日恵美子、青木和義 文・板倉みきこ
麻倉未稀さん(64歳 歌手)
歌手の麻倉未稀さんの乳がんが見つかったのは、テレビの健康診断の企画内。芸能人ゆえの特殊な状況だ。発表を控えることもできたが、意を決して公表。
「いろいろ考えたんですが、それまで『ヒーロー』という歌で人を鼓舞してきて、『みんな頑張れ!私も頑張るからね!』と言ってきたのに、がんを告知された途端『世間に言いたくありません、頑張れません』って言うのは違うな、と。一度だけ大泣きはしましたが、公表することで、私がやるべきことがあるのかも、と思い決意しました」
告知から2カ月後に乳房の全摘出と再建手術を行い、術後3週間でステージにも立った。心の整理など間に合わないほどのスピードだ。
「仕事が先々まで決まっていたこともあって、私が答えを出さないと全部ストップしてしまう……。だから、歌手としての自分をどう維持できるかを最優先に考えて、目の前のことを一つ一つクリアしていく感じでした。おかげでモヤモヤ考える時間が減り、決断できた気もします」
歌えなくなるのでは、仕事ができなくなるのでは、という恐怖心を払拭したい思いも重なって、復帰ライブを早めたのかも、と振り返る。
「家で悶々としているより、まずは行動と思っていましたが、結局いろんな方に協力してもらわないと何もできない状況でした。もともと、あまり甘え上手ではなかったので、手術をして初めて人の手を借りる大切さを学びましたし、甘える時は思い切り甘えて、それに対してちゃんと感謝をするって大事なことなんだな、と知りましたね」
罹患者として得た情報と経験を、必要な人にシェアしていきたい。
2017年の告知から手術、そして術後から現在も続けているホルモン治療など、罹患者として様々な人の手を借り、心身を癒やしてもらい、アドバイスを受けてきた麻倉さん。一方でその経験を生かし、自らが誰かのためになることも積極的に推し進めてきた。
「乳がんに関する主治医のトークショーを見に行って、聞き役をされていた元・プリンセスプリンセスの富田京子さんと意気投合し、2018年には『ピンクリボンふじさわ』を立ち上げました。私自身、がんになっていろんな情報をリサーチしましたけど、まゆつばものが本当に多い。正しい情報にたどり着くのに苦労したし、分からないと不安に陥りやすいんですよね。だから、私が知っている情報を多くの人に届けられれば、と思ったんです。そのためには学会などに参加したり、医師の方たちと交流したりして、新しい情報を得るための勉強も続けています」
さらに、2023年には患者や家族、遺族などの心のサポートを提供する場『あいおぷらす』を地元・藤沢で発足させた。麻倉さんの抜群の行動力と理想を形にする力に脱帽する。
「でも、病気になる前は自分から手を上げるタイプではなかったんですよ。罹患者として経験したこと、必要に感じたこと、がん検診の大切さなどをもっと多くの人に知ってもらいたい、というのが素直な気持ち。その思いをベースに動いていったら、どんどん場が広がっていき、人との繋がりが生まれて活動が本格化していった感じです」
自分を労りながらも、目の前のことに真剣に向き合う
パワフルでポジティブ。そんなイメージの強い麻倉さんだが、体調や心がしんどくなる時も当然ある。
「ホルモン治療を続けているので、副作用が出るんですよ。関節痛やホットフラッシュ、あとは髪の毛が抜けやすくなりますし、天気の変動でガーンと体調が落ち込んだりもします。体調が悪い時はマッサージしたり、気持ちも整うクリームを塗ってみたり、足湯をしたり……。自分をケアする方法をいろいろ試して、それでもダメだって時は諦めて横になります。ちょっとでも寝るとマシになったりするんですよね」
前を向くだけでは心身ともにつらい時は立ち止まることも覚えた。
「疲れると物忘れもひどくなってしまうので……。自分で全部やろうとすると無理が出るから、人に頼れるようになったのも病気のおかげですね」
がんが見つかってから7年。その間に両親の看取りも体験し、生と死と真剣に向き合ってきた。
「乳がんは人によって異なることもありますが、経過観察が10年必要です。だから、今はとても元気だけどいつどうなるか分からない、とも考えます。だからこそ今、目の前にあることをとにかくしっかりやろう、一瞬一瞬を大事にしよう、という思いが強くなりましたね」
“キャンサーギフト”という言葉もあるほど、病をきっかけに学ぶ機会や新たな気づきを得られる場合も多い。
「歌だけをやっていた時に比べ、本当にいろいろな方たちと繋がり、私の世界も広がりました。コロナ禍で歌えなかった時期もあり、歌える、ということにもとても幸せを感じています」
休み休みと言いながらも予定はいつもいっぱい。「『麻倉さんはマグロタイプだよね』って言われます」と笑った。
『クロワッサン』1126号より
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