ファッション業界でキャリアを邁進してきた高橋初美さんが56歳で結婚した理由
撮影・黒川ひろみ 文・長谷川未緒
高橋初美さん(65歳)
「一時帰省した私の目の前に、突然現れた元ボーイフレンド。駆け抜けた若い頃があってこそ、穏やかな今の日常が愛おしくて」
1980〜90年代にファッション業界をリードしたアパレル企業、サンエー・インターナショナル(現TSIホールディングス)で初代プレスとして活躍した高橋(旧姓山田)初美さん。生涯独身で仕事人生を謳歌するつもりが、流れに身を任せていたら、56歳で結婚することになったという。
「子どもの頃から独立心旺盛で、小学生のときにはすでに結婚しないと思っていたくらい。ファッションの専門学校を卒業して20歳で北海道から上京し、就職すると仕事が最優先でした。ボーイフレンドがいても仕事のことばかり考えていて、上手に切り替えられなかった」
「今は結婚しても子どもが生まれても働いている方が多いけれど、私たちの時代は、結婚すると仕事は続けられない雰囲気もありましたしね」
49歳で退社し、自身の会社を設立。仕事は順調だったが、実父が病気になり、東京と北海道を行き来したり、東京の病院に入院させたりののちに看取ることとなった。夫となる克則さんと再会したのは、このタイミングだ。
「父をみおくり、実家に帰っていたときのことです。彼は高校時代に初めて交際した2歳年上のボーイフレンドで、新聞のお悔やみ欄で父の死を知り、電話をくれたんです。電話番号を覚えていたなんて、すごい記憶力ね、と驚きましたよ」
実は克則さん、別れてから40年経っても初美さんのことを忘れられず、たびたび夢に見ていたそう。また後に誤診と判明するが、余命宣告を受けたこともあり、今しかないと決意して連絡してきたのだという。
「母とも面識がありましたし、お線香をあげにきてくれて、本当に懐かしかった。彼は運命を感じていたみたいだし、私はやっぱり父が亡くなったことが大きくて。長女なので、残された母親の面倒をこれから見なければならないと思っていた矢先に彼が現れたのは、父が引き合わせてくれたのかな、と思いました」
再会後、ほどなくして交際が始まり、1年後に56歳で結婚。仕事第一は変わらず、当初は東京が拠点の初美さんと札幌で暮らす克則さんは、お互い週末に行き来する別居婚だった。
克則さんからは60歳になったら北海道に戻ってきてほしいと言われていたものの、結局62歳まで東京で暮らすことに。
「北海道に戻ることにしたのは、コロナが大きかったです。仕事を続けることもできなくはなかったけれど、仕事相手が異動になるなどしたこともあり、直感的にもう帰ろうと思いました。コロナがなければどうなっていたでしょうね……。なんというか、自分で決めてはいるのだけれど、自然の流れのままに人生を歩んできた感じなんですよ」
同居してからは仕事をしていないため、主婦としての生活が始まった。東京では家事はほとんどしておらず、食事は基本的に外食で、掃除もハウスキーパーに任せていたため、暮らしぶりは激変した。
「自然に囲まれているので朝日とともに鳥のさえずりで目が覚めます。東京では朝ごはんを食べることもありませんでしたが、夫は1日3食しっかり食べたい人。朝ごはんを用意して、夫が会社に持って行くお弁当を作ります。人生初の経験をこの年齢でするなんて、おもしろいものです」
90歳を過ぎた実母が庭仕事をしているため、月に2回ほど様子を見に行く際には野菜をどっさり持たせてくれる。トマトを大量にもらったときには、レシピを見ながらラタトゥイユを作った。
変化に戸惑いそうなものだが、何にも縛られず好きなように生きてきたから、これからは自分と家族のために時間を使うのもいいと思っているそう。
「夫は土木設計の仕事をしていて男社会で生きてきたこともあり、思っていた以上に昭和の人(笑)。わりと頑固なところもありますが、もう年だし違いを追求しても仕方がないから、お互いに流しています」
「彼はアウトドアが趣味で、自然の中で生き抜く力があるところは尊敬しますし、疲れていたら家事を代わりにしてくれる優しさもあります。何より、なんでも話せる仲間ができたことは大きな安心感に。キャンプ仕様に車を新調したので、これからふたりで日本中を旅したいですね」
『クロワッサン』1126号より
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