好きなことで独立起業、ずっと“私らしさ”で生きていくーーひとり出版社・藤川明日香さん
撮影・徳永 彩 文・松本あかね
ひとり出版社を立ち上げて1冊、1冊、自分らしく編む
藤川明日香さん(50歳、「月と文社」代表)
年末から今年のはじめにかけて出版された2冊の本が、大人の女性たちの間で静かに売れ続けている。
一冊はトーストを齧る女の子がこちらを見つめるイラストが印象的な『東京となかよくなりたくて』。もう一冊は淡いサーモンピンクで、『かざらないひと』というひらがなのタイトルがまっすぐ目に届く。
版元は「月と文(ふみ)社」。2023年に生まれたばかりの出版社だ。
2023年12月に『東京となかよくなりたくて』が世に出た時点では、ほぼ無名と言ってよかった。それが、カルチャーに強い都心の大型書店や目利きの店主が選書する独立系書店の目にいち早く留まり、3冊、7冊、10冊と注文が入ったときの感動を、藤川明日香さんは忘れない。
「受発注用のプラットフォームからのメールで、書店から注文が届くのがダイレクトにわかるんです。今は出版から少し時間が経って、返本が増えてくる時期なのですが、追加注文してくれる書店もあるのがすごくうれしい」
「ひとり出版社」とは、文字どおり本の編集から宣伝、販売、出荷などの業務を1人で担う出版社だ。個性的な本を出していることや大きな宣伝を打たなくても口コミでヒット作が生まれたり、大手取次を介さず書店から直接注文を受けるなど、定石にとらわれないやり方で出版界に新風を吹き込んでいる。
藤川さんがその存在を意識したのは、書店で手にしたある本がきっかけだった。
「『小さな出版社のつづけ方』(永江朗著)という本で紹介されている皆さんが、本当に自由に本作りをしていて。『こういう本の世界ってあるんだ』と驚きました。大きな会社にいると、最低何万部は売るという目標しか見えなかったけれど、小部数でも自由に本を作る世界があるんだと思ったら、自分もこういうことをやりたいって」
自分にしか作れないものは何か?自問自答を繰り返して
当時の藤川さんは新卒で入社した大手出版社で25年働き、会社の看板雑誌でもある女性向け月刊誌の編集長として、5年目を迎えていた。
「働く女性の人生を考えるというコンセプトには意義を感じていましたし、本当に貴重な経験でした。会社だから各方面との調整も多く、プレッシャーも大きかったのですが、基本、自分がいいと思うように作っていたつもり。でも、心から作りたいものは何か別にあるような気持ちもあったんですね」
大学では建築を学び、それでも出版社を志望したのは雑誌が好きだったから。熟練した編集者になり、改めて自分の「好き」を問い直したとき、初めて独立の選択肢が浮かぶようになる。
「クリエイティブ欲が強いというか、雑誌の『オリーブ』が好きだった人、なんです、私。マーケティング的に正しくて、実績のある著者でという見たことのあるような切り口の本ではなくて、自分にしか作れないようなものってないのかなと考えるようになりました」
辞職の意思を伝えて1年後には退社。自宅のある月島エリアの隣、築地に構えた仕事場は、机1つ分のスペースに簡単な調理台とシャワーとトイレ付き。3面の壁はガラス張りで、ビルの狭間にふわんと浮かぶコックピットのようでもある。
机の横には出荷前の本のストックや配送用の段ボールがきちんと積まれ、出版業務のすべてがコンパクトにまとめられている。
今秋には『かざらないひと』のきょうだい版といえそうな男性のインタビュー集を出版予定だ。独立して1年半、“ひとり”になって得たものは?
「自分ぽさを取り戻したと思います。最近、元編集者で今は作家の方が『編集者のときは自分の言葉を失っていた。独立してそれを取り戻した』と話すのを聞いて、それわかるなと」
「編集長という役割に求められてきたスタイルを一切外して、自分の感覚を信じて作ったものに関して、『藤川さんぽいね』と言ってくれる人がけっこういて。それを聞くと、ああ自分もそれを取り戻せたのかなと感じますね」
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