「季節を感じられ、風情も楽しめる。着物の世界は美しくて、楽しいですよ。」講談師・一龍斎貞鏡さんの着物の時間。
撮影・青木和義 ヘア&メイク・長網志津子 着付け・小田桐はるみ 文・大澤はつ江 撮影協力・牛嶋神社
真打昇進のお祝いに、いただいた浴衣です。半衿と足袋で単衣っぽく装いました。
ある時は戦で馬が疾走するさまを張り扇(おうぎ)(釈台(しゃくだい)を打つ白い扇)を力強く連打して表し、またある時は、主人公の心情に添うように静かに打つ。講談師、一龍斎貞鏡さんが読み上げる世界はときに激しく、ときに温かな思いに満ちている。
2023年10月、真打に昇進し、世襲制ではない講談界で初めて3代続いての講談師となった。父親は八代目一龍斎貞山(ていざん)。祖父が七代目一龍斎貞山。義理の祖父は六代目神田伯龍、という講談師の家に生まれた貞鏡さんだが、意外にも講談師を目指そうと思ったのは20歳の時だという。
「それまでは父の高座を観たことはありませんでした。たまたま、父が出演する講談会のチラシが部屋にあるのを見つけて。行ってみようかな、ぐらいの軽い気持ちで演芸場に。季節は夏。父の演目は『牡丹灯籠』の原型になった怪談で、ゾクゾクする一方で、話を読む父の姿が得も言われぬほど格好よくて美しい。こんな美しいものが、自分のすぐそばにあったのかと恋に落ちました」
その会に女性講談師の草分け的な存在、宝井琴桜(たからいきんおう)も出演していて、
「女性でも講談師になれるんだと知り、その日のうちに“講談師になろう”と決意しました。早速、父にその旨をつげると『ダメだ!』の一言。しつこく言い続け、1年半後のある日、父が突然『着物に着替えろ』と」
連れて行かれたのは人間国宝、一龍斎貞水の自宅。「講談師になりたい、と言っているんですが、よいでしょうか?」「いいに決まってるだろう」。こうして弟子入りを許された。
「父は『師匠』に、私は娘から『貞鏡』となり、修業が始まりました。それまでは着物を着たこともなければ、立ち居振る舞いもわからない。着付けは本を見て勉強し、所作は諸先輩方を見て学び、教えていただきました」
高座での着物は黒や色紋付がほとんどだ。
「講談を読む時は柄が邪魔になると思い……。独演会などは演目に合わせて色を決めることも多いです。以前、神奈川の川崎市多摩区で公演をさせていただいた時、近くに藤子・F・不二雄ミュージアムがあったので、ブルーの着物に白い帯、帯揚げに赤、帯締めを黄色にして読んだら、誰もわかってくれなくて。『ドラえもん』なんですけれど、受けなかった(笑)」
そんな貞鏡さんが今回、着たのは、鶴を白く染め抜いた藍染めの浴衣。
「真打になったお祝いにと、応援してくださる方からいただいたものです。藍の色がなんとも言えないいい色で、お気に入りの一枚です。素足に駒下駄(歯が2つのもの)が浴衣の王道ですが、今回はちょっと洒落て、絽の半衿を付け、のめり下駄(前の歯の部分が斜め)に足袋で単衣っぽく装ってみました」
合わせた白の博多献上帯が涼を呼ぶ。大人の浴衣はあくまで小粋に、カッコよく。お手本にしたい着こなしだ。
「竹のカゴもお祝いでご贔屓(ひいき)の方が編んでくださったものです。お酒が好きなので、浴衣でビールをイメージして帯留は“麦&ホップ”で遊んでみました。着物は楽しいですよ。民族衣装なのに着ないのはもったいない。柄で季節を楽しめますし、風情を感じることもできる。堅苦しいことは考えず、一緒に着物を楽しみませんか?」
『クロワッサン』1120号より
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