【承香院さんの五感で楽しむ平安ガイドVol.1 】当時の音色に焦がれて、琵琶を自作!?
第一回目は、先の京都特集では取り上げきれなかった興味深いエピソードを改めてご紹介いたします。
撮影・青木和義 構成&文・中條裕子
資料を見てもわからない、なら自分で装束を作ってみよう。
元々、愛知の城下町である犬山で育ち、歴史的な着物を目にするようなお祭りが幼い頃から身近にあったという承香院さん。その記憶がベースにあって、古い装束への興味が湧き、中学生くらいからカーテンを切って見様見真似で装束を手作りしていたのだという。
「国語の副読本である国語便覧を見ると、平安時代の装束を身につけているのが人形だったり、博物館で展示されているものも決まったポーズで固まっているわけです。これ、斜めから見たら?座ったらどうなるんだろう?と思っていたのですが、そうなると、もう自分で作るしかなくて。ドラマや映画では装束を着て動いているけれど、お手洗いのシーンもないし、突然雨が降ってくることもあまり長いシーンではない。雨の後はどうしたのだろうか、橋がない大きな川はあの装束でどう渡ったんだろうーー船では濡れるのでは?といった、さまざまな疑問が沸々と湧いてきたとき、やっぱり自分で試してみたいな、と」
自分で身につけていろいろ試してみたいという気持ちから、装束を縫うことはもちろん、ときには布を実際に染めることも。
「染めるために、鍋で時々布を煮たりもしています。染料を同じ量使って同じことをしても、その時々で全く違う濃さや風合になったりするんです」。
そうした苦労を経て実際に自分で装束を身につけてみると、さまざまな気付きがあった。
物語の描かれていない“あいだ”の部分が気になって。
「たとえば平安の人たちは楽器を弾いていますけれど、このような袖では実際に弾けないな、とか。そうすると普段着であった狩衣はこんな袖でよかったんだろうか、と袖丈に疑問を持って調べたり。袖の広さもこのくらいないと空気が通らず暑いな、ですとか。彼ら、このままよく寝てしまうんです、寝巻きに着替えたりせずに。布団がなくても寝られるような格好なんだな、と。実際にやってみると、記録や物語に描かれていない“あいだ”の部分が、こういうふうに過ごしていたんだなと見えてきたりするんです」
物語も映像も描かれているのはいつも切り取ったきれいな部分、そこでは見られない“あいだ”の部分にどうしようもなく惹かれてしまったという。
当時の琵琶の音色が聞きたくて、同じ素材と寸法で再現した。
そうして、とにかく実際に試してみたいという気持ちから、琵琶を手作りしたことまであるというから驚きだ。
「古典を読んでみると、琵琶の音色について『仏様が降りてくるようだった』とか『あまりにもすばらしすぎて地震が起こった』というようなすごい表現で書かれている。『紫色の雲が湧いてきた』『香りが漂ってきた』とも。それはどういう音を表現しているんだろうと思うわけです。その音を聴くには同じものを弾いてみないと、と」
その思いに駆られ、正倉院に収められているものと同じ素材を使って琵琶を作り上げた。
「今回の撮影に持参したこちらの琵琶は職人さんに頼んだものですが、1作目は私、自分で作りました。東京は新木場にある木材問屋さんを回って正倉院と同じ素材がないか1軒1軒訪ねて手に入れ、血みどろの手になりながら1年間かけて完成させたんです」
当時の天皇が耳にした音を聞いてみたい、その一心でノミを振るったのだという。琵琶を作り上げてみたら満足したものの、職人さんが作ったらどうなるのだろうと、新たに制作をお願いした。
「実際に作ってもらったら、嬉しかったのは自分で制作したものとも音色は非常に似ていました。ただやはり、鳴り=音量や出音の質が違うんです。当時はアンプなどはないから、よい楽器の条件は遠くまで音が聞こえること。大きさや材質は同じなので音色は同じでも、鳴りが違いました。今は、笙や笛も習っているんです。琴も耳コピしながら弾いています」
と、琵琶のみならず、今は笙の笛や琴の音色にも親しんでいるという。楽器ひとつとっても、驚きのこだわりぶりなのだ。そうした承香院さんの実践する平安の暮らしぶりを通して知る、今の私たちと変わらない感覚と新鮮な驚き、そして楽しい発見をこの後もお届けいたします!