くらし

『海を渡り、そしてまた海を渡った』著者、河内美穂さんインタビュー。「語られなかった言葉を小説に託しました」

  • 撮影・谷 尚樹 文・堀越和幸

「語られなかった言葉を小説に託しました」

河内美穂(こうち・みほ)さん●広島県出身。広島大学(中国語学中国文学専攻)卒業。中国遼寧大学留学。文筆のかたわら中国語の翻訳、通訳を行う。主な著書には『氷晶のマンチュリア』『上野英信・萬人一人坑』(共に現代書館)など。

著者、河内美穂さんにとっての初めての小説である。河内さんは中国残留邦人をテーマに長年の研究活動を続けていて、これまでにもいくつかの著述がある。

「関わりは、大学時代にした中国留学で残留婦人に出会って交流を持ったのがきっかけです。それ以降も何度か中国を訪れ、50人くらいの人に話を聞きました」

小説の始まりは戦後。旧満州の興安嶺(こうあんれい)で中国人に拾われて育った日本人の王春連(ワンチュンリエン)、その娘の蒼紅梅(ツァンホンメイ)、孫娘の楊柳(ヤンリュウ)と三世代にわたって紡がれる。

「残留邦人一世の敗戦時の逃避行が過酷だったことはいろいろなところで語られていますが、一方で、二世、三世の問題では書かれていない部分が多い。そのために三世代の物語にしました」

そして、本作はぜひ小説として著したかった。

「残酷な事件そのものではなく、そこにいるのが私たちと変わらない普通の人だったということや、彼らの語られなかった思いや言葉を伝えたかったからです」

過去も今もいっしょくたになって……。

開拓団として旧満州に渡り中国人を雇用していた日本人は敗戦後、主従が逆転する。作中では「日本鬼子(リーベングイズ)」という象徴的な言葉が幾度となく現れる。

8歳の王春連は中国人の養父と初めて市に出かけた帰りに、地元の少年たちに日本鬼子と罵られ唾をかけられる。時代が移り文化大革命の季節を迎えると、娘の蒼紅梅も母と同じように日本鬼子と蔑まれ、同級生より石をぶつけられる。さらに時を経て、日本に帰国してからは、一生懸命日本の学校や生活に順応しようとする楊柳とは対照的に長兄の楊柏(ヤンバイ)が壮絶ないじめに遭う。

「差別やいじめや貧困がある状況はそもそも平和とは呼べない。戦争はまだ終わっていないという感覚が私にはあります。帰国を果たしてからも、彼らの中には、自分はどういう人間なんだろう、という葛藤がずっとあると思う」

両親を当局に拘束され、学校にも通えず、悪意の目にさらされながら異国の地で過ごす少女(母娘)たちはそれでも淡い恋をする。物語の舞台となった中国北部の山奥、興安嶺の未開の自然の風景描写と響きあってその姿はとても清く美しい。彼女たちもまた私たちと同じように普通の人なのだ。

物語の最後、孫娘の楊柳は老いて記憶が混濁し始めた81歳の王春連を施設に訪ねて感慨に浸る。

〈あの世もこの世も、中国も日本も、過去も今もいっしょくたになって、会いたい人に会えるといい。〉

「自分に誇りを持って生きられるようにしてくれるものは何か? それを見つけるのが人生では大切なのであって、国境とか国籍とか、正直、私はどうでもいいと思ってしまいます」

人間は生まれてくる時代も境遇も選べない。それでも歴史は今この時にも更新されている。限りある我が生を考えてしまう小説だ。

旧満州の山奥の村から長い時を経て、故国日本へ。三世代の女たちがそれぞれの記憶を語り出す。 現代書館 1,980円

『クロワッサン』1083号より

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