「今が一番いい距離感」、光浦靖子さんと両親との関係。
撮影・山本ヤスノリ 文・黒瀬朋子
穏やかな関係になった今が、 一番いい距離感なんじゃないかな。
兄と妹のいる、3人きょうだいの光浦靖子さん。両親は子どもたちの躾や礼儀にとても厳しかったという。
「あれダメ、これダメと朝から晩まで怒られて、20代くらいまでは親が怖かったですね」
父は役所勤め、母は専業主婦。光浦さんはおとなしくてマイペースな子どもだった。憧れの東京に行きたい一心で猛勉強をし、東京外語大学に入学。初の一人暮らしで自由を得て、緊張の糸が切れた。
「朝起きない、片づけない、食べたいだけ食べて太る、とわかりやすく堕落していきました(笑)。だんだん大学からも遠のいてしまい。お笑いの世界に入ったのも反抗期というか遅れてきた思春期だったのかな。不確かなことをやりたい衝動が湧いていました」
実家を出て仕事をするようになってから親子関係は一変。もともとあまりテレビを見ない家族だったこともあり、光浦さんの活動には全く干渉しない。
「ときどき偶然テレビで見かけて、『ガッテン!』見たよ。やっちゃん、いい顔してた、なんてメッセージが来ます(笑)。一緒に住んでいるとやっぱり悪いところが目についてしまう。でも離れてからはすごく楽になりましたね。お互い淡白なので、誕生日も平気で忘れたり。大人になってから、優しい人たちだったんだと気づきました」
厳しさにも理由があった。父は小学生の頃に両親を亡くし、母は長兄と20歳以上年の離れた末っ子だった。
「両親は2人とも、環境的におじいちゃんおばあちゃんに育てられたようなものでした。それで、親はこうあるべきという強い責任感から過剰に子どもに厳しくしていたのでは?と分析しています。年をとって穏やかになった親と、今の私との距離感が最高なんじゃないかな。お互い自立していて、たまに交わるのがハッピーでちょうどいい」
上京した時には一緒に 買い物と落語、が定番の過ごし方。
コロナ禍になる前は、年に1〜2度帰省し、両親もしばしば光浦さんの家に泊まりに来ていた。一緒に落語を聞きに行き、買い物に出てちょっとよそいきの服をプレゼントする。次の上京時にはその服を着て、両親は訪れるという。
「自分でも孝行娘だと思います。ただ、打たれ弱い子になっちゃったので、もっと大らかな人間になりたかったなあ」
昨年、光浦さんは計画していた留学がコロナ禍で延期となった。退去手続き済みだったため家を失い、コロナ対策でテレビやラジオの収録も減り、悲喜交々だった1年をエッセイ『50歳になりまして』に綴っている。そこには不器用なくらい嘘がつけず、繊細で考えすぎな性格が見事に表れている。
「厳しく育てられてよかったとは思ってないです。でも、こんなややこしい思考回路だから本を書けているというのも事実。悔しいけど、それは親の育て方のおかげなんですよね(笑)」
『クロワッサン』1050号より
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