【内田也哉子さん・小澤征良さん対談】こうであるべき、は一切ない。親子の関係は多様に成熟していくもの。
子ども扱いされずに育ったという2人の親子関係には意外な共通点が……!? たっぷりと語ってくれました。
撮影・MEGUMI ヘア&メイク・木内真奈美(Otie/内田さん)、安海督曜(小澤さん) 文・黒瀬朋子
ロック歌手でプロデューサーの内田裕也さんと女優の樹木希林さんの一人娘である内田也哉子さん。俳優の本木雅弘さんとの間に3人の子どもがいて、上の2人はすでに成人に。一方、小澤征良さんの父は指揮者の小澤征爾さん。征良さんは6歳の息子の子育て真っ最中だ。2人は直接会うのは2回目だけれど、メールのやりとりを通して、姉妹のような信頼関係を紡いでいた。
内田也哉子さん(以下、内田) 征良さんは、私が母を亡くしたのを遠くから見て、ある種のシンパシーを感じてくださり、心のこもったメールを、共通の知人を介して送ってくださったんです。
小澤征良さん(以下、小澤) あの時は、面識もないのに突然ごめんなさい。
父は父性も母性も溢れる人で、私はその両方を父から受け取っている感覚がずっとあった。樹木希林さんもそういう方なのではないかと勝手に感じていたの。
11年前に父が病気をしてから私の生活は激変し、父を守ることを人生のプライオリティの一番にすることにした。
私にとっての父のような存在が、也哉子さんにとってのお母様ではないかと、そんな方を亡くされて大丈夫だろうかと居ても立ってもいられなくて思わずメールを送ってしまったの。
内田 とてもありがたかった。籍は入っていたけれど、うちは父親不在の家庭だったから、征良さんがおっしゃるように、母は母性と父性をたたえていました。小澤征爾さんもそういう方なの?
小澤 息子が生まれてミルクをあげているときに、ふと自分の赤ちゃんのころの記憶が蘇ったの。サンフランシスコの家で、眠れない私を父が抱きかかえながら歌を歌っていた。そのフレーズや父の胸の温かみまで鮮明に。
内田 見事な記憶力!
小澤 私が6歳のときに家族で帰国したのだけれど、父はその後も3週間おきに欧米と日本を往復するような生活だった。ものすごく多忙だったはずなのに、父とはとても濃く繋がっていると感じていて、父が病に倒れてからは、その繋がりをよりはっきりと自覚するようになったのかも……。
責任を伴う自由が子どもの私にはとても重かった。
内田 うちの母は芯の部分で厳しくて、すべて「あなたのやりたいようにしなさい。責任は自分でとりなさい」という育て方だった。
細かいことは一切言わず、物の道理を一度しか教えないから、うっかり忘れないように緊張感が高かった(笑)。
母の背中を見ながら察して、幼いなりに先を読むようになるのよね。今お菓子を全部食べてしまったら、あとでごはんが食べられなくなるとか(笑)。
公立の小学校が合わなくて毎日泣いていたら、「辞めたらいいじゃない」と母に言われた。そこで辞めても決して責められないけど、自分にわだかまりが残ることがわかったから、なんとか最後まで通った。そんなふうに自由という名の重荷を初めから背負わされていた感じだった。
小澤 也哉子さんに対して、人としてのリスペクトがあったから、お母様はすべてをまかせられたんじゃない?
内田 体感としてはそんな穏やかじゃなかったけど(笑)。たとえば、人からケーキをいただいても、子どもにまず選ばせるのが普通かもしれないけど、あえて母は自分が先に好きなものを取って残った中から私に選ばせていたの。一人っ子だからって、なんでも自分の思いどおりにできるとなったら先で苦労するだろうと、一緒に競争していた感じ。
小澤 希林さんは、お父さん役、お母さん役に加えて、きょうだいの役もなさっていたのね。
内田 小さいうちに現実を知らせようとまるで修行のように厳しく育てられたから、大人になってからは旦那さんを筆頭に、誰にでも、「そこまでやってくれるの?」と、なんでもありがたく感じちゃう。そういう意味では、母の思惑どおりなのかもね。うちにはおもちゃも一切なかったし。
小澤 そこは真逆かも! うちの父は、与えちゃう派(笑)。私は犬がいないと生きていけないくらい犬好きなんだけど、日本に帰国したらひどい喘息になって飼えなくなり、可哀想に思ったのか、父はぬいぐるみをたくさん買ってくれた。
内田 夢のような幼少時代!
小澤 叱られたこと一度もなかったなぁ。父は誰に対してもフラットで、子どもも小さな大人として接するから、何か問題があっても頭ごなしに言い聞かせることはせずに、じっくり話し合うんだけど……。父の言い分のほうが正しいとわかるから、私も納得しちゃうの。
内田 素敵ね。私も全く子ども扱いされなかった。でも、母と違い、なんだか征爾さんには温かい博愛精神を感じるな。
父と私と息子は魂のチームメイトという感じ。
内田 よその家を見てもそう思うけど、厳しい家に育った子は寛容な親になるし、大らかな親に育てられると、だらしなくならないようにと子どもに厳しく接する、というふうに子育ては反転していく気がする。
私は自分の子どもたちには、おもちゃを与えないとか、玄米菜食などストイックなことはしなかったです。
それと3人平等に愛しているのに、波長の合う合わないがあるものだなあと。3種類育ててみて(笑)、つくづく思う。一人息子さんはどう?
小澤 私はびー(息子のあだ名)とは繋がっている感じがするな。
京都の霊媒師さんに聞いたのだけれど、家族には「魂のファミリーツリー」があって、父親と母親の両方とつながっていることはまずないんだって。父と私と息子は同じ霊系(魂の系列)で、母と弟が同じらしいの。
たしかに、私は父と同じ土でできている感覚があり、母と弟はすごく似ていて気も合う。びーはじい(父)が大好きだし、父もびーを溺愛している。
内田 3人でいると絶妙なハーモニーになるのね?
小澤 そう! 息子は、6歳と思えないようなハッとするようなことをときどき言い出すの。「ママはいったい誰なの?」とか「親というものはどうしてそんなに子どもに一生懸命になるの?」なんて(笑)。
内田 まあ、真をついた質問……。
小澤 私が6歳のときは、ぼーっとして何も考えてなかった。魂が私よりも古いのか、宇宙人?前世は私の師匠?なんて思ったり(笑)。
その問いに改めて考えてみると、私は父と息子に出会うために生まれてきたのかなあと。そう考えるとすごく腑に落ちて、人生の地図が見えた気がする。3人で魂のチームメイトみたいに感じるのかもね。
内田 実際は子どもに教わることのほうが多いのかもね。
残念ながら私は父親とは深いコネクションを持つことはできなかったから、一抹の寂しさは一生抱えていくと思う。
でも、数えるほどのわずかなひとときのなかで、2人きりで映画の話をしたことがあって。「おまえ、俺と気が合うな」と言われた。そのたった一言に、破天荒な父に悩まされてきたストレスが軽くなる感じがしたの。やっぱり親子である実感をどこかで確かめたかったのでしょうね。
小澤 お父様はシャイなのかな?
内田 隣の女の人をすぐナンパしたりするからシャイではないかな(笑)。父の遺品を整理していたら、いろんな女性の電話番号のメモが出てきて、「最高! 裏切らないね!」と夫と笑った。
小澤 アッパレだなぁ!
内田 母は、日常のなかの悲劇のようなことも、すべて笑いに変えてくれるような人だったのね。
小澤 笑いってほんとに大事だよね。
内田 私はすぐにシリアスに受け止めてしまう。上の子2人は21〜23歳で産んで、わからないことだらけで葛藤があった。でも、34歳のときに3人目が生まれ、そんなに焦ったり深刻になってもいい影響はないということがわかったから、だいぶ感覚は変わったな。
小澤 すごいなあ。私はまだ暗闇の中を手探りで子育てしている感じよ。
内田 母はよく「子どもは世間が育ててくれるのよ」と言ってた。出会った人すべてが師というか。だから、親だからすべての責任を、と堅苦しく考える必要はないのかなって。
小澤 70代の親友にも、もっと楽しみなさいとよく言われる。そういえば父も楽しみ上手。いつも親父ギャグを言っているし、病気で一番つらいときでも、心配している私を必死に笑わせようとしていた。強い人だなあと思う。
内田 うちの母もよく「面白がる」ということをしていた。無理難題に対して「そうきたか!」と迎えてアイデアを捻り出す。悲劇でしかないことも、角度を変えて見ると大笑いできたり。そういう柔軟な心の訓練が、お父様もうちの母もできていたのかもしれないね。
小澤 也哉子さんは、こうしてその存在を通してお母様を受け継いでいるよね。すばらしいなぁ。希林さんがいなくなった気がしないもの。
内田 そう? 3人の子を持つ親としても、もっと立派な信念を持っていたらと思うけれど、全然、いつも迷ってばかり。でも、親子の関係も気がつけば変化していくものよね。
小澤 そうかも。親子の関係性も次第に成熟していくんでしょうね。
内田 大変なときもあるけれど、深刻になったときには記憶の中の母が、「ここから見るとこんなに面白いよ」と教えてくれている気がします。
『クロワッサン』1050号より
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