禅寺で日々行われる掃除には、心と暮らしの清め方の、学びがある。
撮影・三東サイ 文・大澤はつ江
東京、JR中央線武蔵境駅前には大型量販店などが立ち並ぶ。そこからほど近い場所に観音院がある。扁額に「観音院」とある総門をくぐり、掃き清められた参道を進む。境内に流れる清々しい空気の中に佇んでいると、心が静まっていくようだ。
「当山では朝、参禅会の人たちと共に、1時間半ほど掃除を行い、寺の内外を清めます。禅寺にとって掃除は修行の一環とされ、日々、心して丁寧に行い、工夫を重ねることで、よい習慣がもたらす心のゆとり『功徳(くどく)』が身につくとされています。道元(どうげん)禅師の言葉に『威儀即仏法(いぎそくぶっぽう)』があります。これは、日常生活の立ち居振る舞いが人間の人格を作る基礎になる、という教えです」
と住職の来馬正行さん。
「掃除は特別なことではありません。日常生活の中で行われる行為のひとつ。これは家庭でも同じこと。でも、この当たり前のことがなかなかできない。“面倒くさい”“今日ぐらいはいいだろう”という気持ちが起こってくる。それを乗り越えて、身近な場所から掃除をすることで、不思議に心がやすまり、意欲が向上してくる。そして、やる気が起こる」
誰のためでもなく、日々きちんと掃除を行い、暮らしを大切にすることで、自分でも気づかない心の変化が生まれてくる。
「欺きのない暮らしの中で人の心は整理され、さらに、清潔に暮らすことで心と体のバランスが程よく持続されるのです」
掃除は誰にでもできる行為。来馬さんの掃除は窓を開けることから始まる。
「新鮮な空気を室内に取り入れる。すると、季節の移り変わる匂いや樹々の色、鳥の鳴き声などに気がつきます」
自然界の美を五感で感じ取ることで、心はさらに清らかに。
「仏教で『薫習(くんじゅう)』という言葉があります。すべての行為は体に記憶されるという意味で、これが生き方を考えることにもつながる。ですから、掃除も習慣にすることで体に記憶され、今後の心の在り方の基礎となっていきます」