【歌人・木下龍也の短歌組手】亀が足の遅さを自覚する時。
〈読者の短歌〉
わたしってわたしのことを呼ぶときのちょっとのぎこちなさこそわたし
(大海明日香/女性/テーマ「私」)
〈木下さんのコメント〉
「わたし」にとって主語が「わたし」であることは自明なのに、話の内容が伝わりやすいようにあえて「わたしが〜」とか「わたしは〜」と言わなければならないことがある。そんなときは確かに「ちょっとのぎこちなさ」を感じます。気恥ずかしいというかむずがゆいというか。他者との会話の中で訪れるその感覚こそが「わたし」なのだ。
〈読者の短歌〉
好きだとか可愛いだとかもうちょっと言ってください 嵐呼びます
(青時/女性/自由詠)
〈木下さんのコメント〉
自然現象の「嵐」なら「嵐呼びます」は言ってくれないと呼ぶぞという脅しのように読めますし、アイドルグループの「嵐」なら言ってくれたら呼んであげるというご褒美のようにも読めます。たぶん自然現象のほうですかね。どちらにせよ、かわいらしい要求からの「嵐呼びます」という飛躍に驚かされる1首。
〈読者の短歌〉
僕だけが進んでしまった赤信号公開処刑を見守る群衆
(野坂/女性/テーマ「私」)
〈木下さんのコメント〉
エラーを起こした途端、「群衆」のひとりだった「僕」は簡単に異物と化す。そして、異物である「僕」の存在は(私たちはルールを守っているという)「群衆」の連帯感を強くする。群衆が「見守る」その光景は、さながら「公開処刑」だ。信号が青に変われば「群衆」の連帯感はパッと消え、「僕」のことなんてすぐに忘れてしまうはずだ。この光景を切り取ることができるのは、ひとときの異物と化した「僕だけ」なのかもしれない。
〈読者の短歌〉
さっきまで膝にのせてた花ちゃんのあくびが肉食のそれだった
(砂崎柊/男性/テーマ「ペット」)
〈木下さんのコメント〉
別に裏切られたわけじゃないんですけど、やっぱりちゃんと獣じゃん!!!って勝手にショックを受ける瞬間がありますよね。口の中が怖い。猫も犬もキバがあるし、食べるつもりで来られたら食べられちゃうよなあ。この短歌に登場するペットの名前は「肉食」っぽさから遠いほうがいいので「花ちゃん」は最適解であるような気がします。
〈読者の短歌〉
私あの街で暮らすわこんなにもヒールが沈むぬかるみのない
(半島/女性/テーマ「私」)
〈木下さんのコメント〉
田舎からの脱出。あらゆる脱出ゲームの中でこれがいちばん難しんじゃないだろうか。本谷有希子さんの小説『腑抜けども悲しみの愛を見せろ』を思い出しました。「こんなにもヒールが沈むぬかるみのないあの街で暮らすわ私」とすることもできますが、主語を最後に落ち着いた決意という雰囲気が出てしまうので、語順は変えないほうがよさそうですね。
〈読者の短歌〉
象くらいでっかい犬を洗いたい 洗って乾くまで待ってたい
「チョコタンのミニチュアダックス(やや太りぎみ)を飼っています。」
(永原りり/女性/テーマ「ペット」)
〈木下さんのコメント〉
かけた手間と時間が愛。でっかいなあ。洗い甲斐があるよなあ。乾くまでけっこう時間がかかりそうだなあ。乾いたらふっかふかのお腹で眠ろう。気持ちよさそうだなあ。とか夢見心地でしたが、踏まれたり噛まれたりしたら人間なんて簡単に死ぬだろうなと考えた瞬間、現実世界に引き戻されました。
木下龍也
1988年、山口県生まれ。2011年から短歌をつくり始め、様々な場所で発表をする。著書に『つむじ風、ここにあります』『きみを嫌いな奴はクズだよ』がある。
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