ひとり暮らしの女子大生の、避けられない通過儀礼。│山内マリコ「銀幕女優レトロスペクティブ」
見延典子が早稲田大学文学部の卒業制作として書いた小説『もう頰づえはつかない』。学生運動の嵐が過ぎ去ったあとの、倦怠感たっぷりのキャンパスライフを送る女子大生の青春が描かれます。発売後ベストセラーになり、翌1979年(昭和54年)にさっそく映画化された本作は、’70年代という熱い時代のフィナーレをけだるく飾りました。
早稲田に通うまり子(桃井かおり)は、バイト先で知り合った橋本(奥田瑛二)とうっかり寝て以来、恋人同士のように半同棲している。しかし彼のことが好きではなかった。まり子が惚れているのは、全共闘世代の恒雄(森本レオ)だ。風来坊の年上男にふりまわされるまり子。ピルを飲んでいたのに、妊娠したことがわかり……。
無為なセックスをしたり、男にふりまわされたりするのは、ひとり暮らしの女子大生が浴びる洗礼のようなもの。同年代の男はガキっぽすぎてうんざり、しかし年上男の前では自分らしくふるまえなくなる描写が実にリアルで、この年齢を通過した女性なら身につまされるのでは? モラトリアムの日々にはまる沼化した恋愛とそこからの生還は、現代に至るまで、女性の青春の一大テーマです。
デビュー直後のキュートな奥田瑛二も、学生運動くずれ特有のカリスマティックなフェロモンをまき散らす森本レオもそれぞれにはまり役ながら、本作はなんといっても’70年代もっとも輝いた女優、桃井かおりこそがすべて! そこに居るだけで物語が生まれる、この時代の桃井かおりの詩的なルックス、アンニュイな存在感は絶品です。
彼女はこの後も息の長いキャリアを築き、ハリウッドに進出、さらには監督業もこなす超人に進化していきます。本人に強靭な自我を感じさせる女優は日本ではレアですが、そういう個性の持ち主だからこそ本作のラストシーンで、彼女はもう一人で大丈夫なんだと清々しく思える。桃井かおりでしか成立しない、’70年代の青春物語なのでした。
山内マリコ(やまうち・まりこ)●作家。新刊『山内マリコの美術館は一人で行く派展』(東京二ユース通信社)が発売中。
『クロワッサン』1021号より
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