絆創膏の訳。│束芋「絵に描いた牡丹餅に触りたい」
私は昔から絆創膏のお世話になってきた。男の子と一緒に走り回る日々は生傷が絶えず、軽い切り傷にはいつも絆創膏だった。アトピー性皮膚炎で皮膚が乾燥していることもあり、アカギレで全ての指が絆創膏に占拠されてることもあったので、絆創膏の使い方は他人より考えてきた。
私の絆創膏はすぐに汚くなる。小学生の頃などは、泥遊びなんかもしたけれど、そんな大層な遊びをしなくても、じきに周りが黒くなってベタベタしてくる。
そんなとき気がついたのが、美しい女の子の絆創膏は汚くならないということ。小学生の頃の判別で言う「美しい」とは、顔や着ている服以上に所作や気遣いだったように思う。今思い返すと、幼いながらに上品な振る舞いというのが感じられる子がいたのだ。例えば、私の妹が今でも覚えている美しい小学校のお友達は、貸した鋏を返してくれる時、ハンカチを取り出し、刃先を綺麗に拭いて返してくれたという。また別の女の子が言ったお断りの言葉は「今回は行けないけど、また誘ってね」と。誘いを断られたのに最後に「また誘ってね」と言われたことで、嫌な気分にならなかったことに当時の妹は驚いたそうだ。そのお友達もまた、とても美しい女の子だったらしい。
そう、“美しい”子は絆創膏も汚さないし、人を嫌な気持ちにもさせない。
大人になってもう一つ、私は決定的な違いに気がつくことになる。私が幼い頃から今も変わらず使っている絆創膏は、美しい子が使っていた「バンドエイド」とは違って、100円で100枚くらい入っている安価なものだった。大人になって自分で絆創膏を買うようになって初めて、絆創膏の値段に大きな開きがあることを知った。それを知っても、私は今も同じクオリティの絆創膏を好んで使っているし、これからも自分に相応しい絆創膏を選ぶのだと思う。そして、今も私にとっての美しい人は、小学生の時に汚れない絆創膏を付けていただろう人で、大人になると絆創膏をいつも持っていて、誰かが怪我をしたら素敵なポーチから「バンドエイド」を取り出し、笑顔で差し出してくれる。
束芋(たばいも)●現代美術家。近況等は、https://www.facebook.com/imostudio.imo/にて。
『クロワッサン』1019号より
広告