くらし

『センス・オブ・シェイム ―恥の感覚―』著者、酒井順子さんインタビュー。「日本人の恥の感覚はどう変わったか」

  • 撮影・黒川ひろみ(本・著者)
世間はどう見ている? ネット社会に何をさらす? SNS時代の、日本人の「恥の感覚」は? 文藝春秋 1,400円
酒井順子(さかい・じゅんこ)さん●1966年、東京生まれ。高校在学中からコラムを発表。立教大学社会学部観光学科卒業。2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞を受賞。著書に『女を観る歌舞伎』『ユーミンの罪』『家族終了』など多数。

酒井さんの新刊は“恥の感覚”に対する刺激的な考察である。

「趣味や嗜好、あるいは文化や価値観で人と人は関係性を深めたり、違和感を感じたりもするのですが、もっとその核となるものは、実は“恥の感覚”ではないか、という考えが以前からありまして」

私たちは幼い頃に親からよくこう叱られた。みんなが見ているからやめなさい、と。

「それが悪いことだからというよりは、恥ずかしいから駄目、という部分がある。つまり私たちの行動規範は、法律や神様というよりも、世間様の視線によるところが大きいのではないか」

そもそも日本人は恥ずかしがり屋であると言われる。本作でも触れられるルース・ベネディクトの『菊と刀』の「恥の文化」を顧みるのみならず、酒井さんの洞察は古典の紫式部にまで遡る。

「『紫式部日記』では清少納言のことがあしざまに描かれています。年齢や立ち位置の点で確かに目の上のたんこぶ的な存在ではあったのでしょうが、それだけとは思えない。清少納言は『枕草子』でしばし自分の自慢話を書いていますが、彼女が決定的に気に入らなかったのは実はその部分ではないか」

SNSの登場で、自慢はダダ漏れに。

清少納言に比して勝るとも劣らぬ教養の持ち主であった紫式部が彼女と違ったのは、自慢話ははしたないとする強い羞恥心である。

和をもって貴しとする日本人の歴史はとっぴな人が発生しないように相互監視をしあうという、同調圧力の歴史でもあった。ところが、SNSの登場で新たなフェーズを迎える。

「ネット上であればちょっとだけ勇気が出せる、ということに人々は気が付いたのです」

たとえば手作り料理をアップする主婦。たとえば、己の肉体改造をアップする中年サラリーマン。ほかにも交遊自慢にモテ自慢、学歴自慢に仕事自慢。それらを煽る一定数の「いいね!」。

「SNS草創期は自慢とも気付いていなかったんだと思う。で、それまで蓋をされていた自慢欲がダダ漏れになったりしたのですが、いまはそれが承認欲求の表れだと気付かれた。なので間接自慢などの手腕も使われるように……」

いわく〈「こんなところで昼寝をしている。車が出せない」の文章とともに、車のボンネットで眠る猫の写真が。猫の手前に写っているのはベンツのエンブレム〉。

かくして酒井さんのセンス・オブ・シェイムについての考察は、本当はみんながしたい自慢話にとどまらず、あらゆる事象へと広がっていく。メイク、親子のハグ、善行、セックス、出世……。私たちはいろいろなことが恥ずかしい。そして、恥ずかしいと思わないことが恥ずかしい。

「羞恥心とは、自分がどうありたいかという意識の裏返しなのだと思います。年をとると摩耗もするので、だからこそ程よく持つことが大切なのではないかと」

『クロワッサン』1012号より

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