くらし

深緑野分さん×瀧井朝世さん 本を通して考える、複雑な世界をよりよく生きるヒント。

世間に漂う不穏さや、私たちのモヤモヤする気持ちはどこからくるのだろう? 読んで、考えて、すっきりする読書のススメ。
  • 撮影・土佐麻里子、中島慶子 文・黒澤 彩
(左)深緑野分さん 小説家 (右)瀧井朝世さん ライター

深緑さんの小説にも通じる、視野が広がるような2冊です。(瀧井朝世さん)

日頃、私が考えていることと重なるような本に出合えました。(深緑野分さん)

瀧井朝世さん(以下、瀧井) 深緑さんのデビュー作『オーブランの少女』を読んだとき、すごい人が現れたなと衝撃を受けました。『ベルリンは晴れているか』もそうですが、どの作品からも、深緑さんの正義感や視野の広さを感じます。というわけで、今回はクロワッサン誌上ではありますが、女性向けというよりも人間について正面から考えてみたいと思って2冊を選びました。

深緑野分さん(以下、深緑) ありがとうございます。『アイデンティティが人を殺す』。これ、初めて読みました。すごくいい本を取り上げてくださったと思って、うれしくなりました。

瀧井 前半は民族問題などを例にアイデンティティについて。後半はグローバリズムなどについて語っています。むずかしいテーマのようですけど、やさしい語り口だし、薄い本なので読みやすいですよね。私は、とくに冒頭のところに共感しました。この著者はレバノン生まれでフランス在住なのですが、「あなたはレバノン人か、それともフランス人か?」と問われて「両方ですよ」と答えると相手が納得してくれないという。

深緑 「両方」というのが、この人のアイデンティティにほかならないのに。

瀧井 自分のことも相手のことも、ある一側面だけで決めつけてしまう。それがひいては民族間の争い、つまり「人を殺す」ことにもつながるというわけです。社会での“主語”の大きさって気になりませんか。“日本人は”とか“お母さんっていうのは”とか。本当はアイデンティティって、たくさんの要素から成り立っている、自分だけのもののはず。安易に人と共有できないものじゃないでしょうか。

深緑 本当にそうですよね。私も、この著者と考えが似ているところがあります。世界を変えることができる特効薬はないという前提を踏まえているんだけど、だからといって、人間はこんなものだから仕方ないという諦めた態度や冷笑主義には、はっきりと反対している。そこが信頼できるなと。

瀧井 たしかに、わかりやすい答えが書かれているのではなくて、考えるためのヒントをくれる本です。

深緑 迫害された民族のトラウマについても語られています。もちろん、傷を負っている人を置き去りにしてはいけない。でも、そういうアイデンティティだけを深掘りして怒りの感情を煽ることが、争いや対立につながるんですよね。「彼ら/私たち」というふうに分けると、それが即ち「敵/味方」になる。敵は憎んでもいいんだと、自分の悪い感情を正当化できてしまうんです。敵だから憎んでもいいのか、憎みたいから敵を作るのかはわかりませんが。

瀧井 敵対したい相手のことを全否定しがちな風潮はありますよね。国際関係もそうだし、自分と相反する意見を持った個人に対してもそう。

深緑 もし捏造であっても、「相手がああ言った、こんなことをした」と広まれば、憎む感情が膨れていきます。そういうことが、日本だけじゃなく世界で起きているのかもしれません。少し冷静にならないと。人って、善悪どちらの気持ちもあって、善を信じたい気持ちのほうが隠されがちな気がします。本当はもっと優しくしたいのに、その気持ちをどう表せばいいのかわからない人が多いのかも。これって、やりすぎじゃないのかな? じゃあ、どうしたらいいんだろう?というモヤモヤした気持ちに、この本は寄り添ってくれます。

\瀧井さんの おすすめ/
アイデンティティが人を殺す  アミン・マアルーフ 著 小野正嗣 訳

アイデンティティとは本来、ほかの人とは違う「私」を作るもの。

民族、宗教などで他者と対立するのはなぜか? これからの時代にふさわしいアイデンティティのあり方を考察する。ちくま学芸文庫 1,100円
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