舞台となっているのは、架空の場所もあれば、在住している京都、以前暮らしていた三浦半島の三崎、母や祖母が生まれ育った四国と、何かしら縁のあった土地も多い。
「土地を書いているということは、その土地が僕の中に入っているということなんです。憶えている、というより、記憶の底に沈んで発酵していることが物語になっているんじゃないかと思う」
そうした物語たちは、特に背景が詳らかにされることなく始まる。語り始めの一文は鮮やかに印象的で、時に不思議さを湛えていて、瞬時に読み手の心を掴んでしまう。あとは、この先いったいどうなっていくのだろう……という思いばかり。たとえば、まず本を開いて目に飛び込んでくるのは、
〈私の飼い主は牛乳屋の婆さんです。店先にすわってビーフジャーキーをなめ、味がしなくなったら投げてよこす。まったく暇なばあさんで、ター坊ター坊(私のこと)、今度湯河原へ行こうねえ、犬の電車賃いくらかしら、などと、日がな繰りごとをつづけています〉
と、犬の独白である。リズムよくとつとつと語られる犬としての生活を共に体験していると、その生き様に胸打たれる光景で、ふいに小さな小さな物語は閉じる。
「27編の成立の仕方はどれもずいぶん違うんです。即興のものもあれば、新聞やWEBでの連載もあるし、載っていた媒体もばらばら。共通しているのは、風が吹いたらはらはらと順番が入れ替わってしまうような、ちょっと宙に浮いている感じかな。どれもどこか途中で終わってる話がいっぱい並んでいて、みんなモビールみたいに高さもまちまちに吊り下がっている。それはどこから下がっているのかわからなくて、その上には目には見えないマリアさまが浮かんでいるような、そんなイメージです」
だから、この一冊は“マリアさま”と名付けられたのだという。これしかない、と自然と浮かんできたタイトルなのだと。
「『マリアさま』という名前がタイトルにつくことで、物語たちも喜んでいる気がします」