『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』著者、村岡恵理さんインタビュー。 「独立を貫いた女性の孤独は美しいです」
撮影・黒川ひろみ(本) 山本ヤスノリ(著者)
5年前に大ヒットした朝ドラ『花子とアン』。原案の『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』の著者として注目されたのが、村岡恵理さん。昭和27年『赤毛のアン』の翻訳を手がけ世に送り出した村岡花子さんは、この村岡恵理さんの祖母にあたる。女性の生涯を描くことでは折り紙つきの恵理さん久々の新作は、歌謡曲の作詞家として戦後のヒット曲を数多く手がけた岩谷時子(いわたにときこ)の評伝小説。
「岩谷さんは生涯独身、日本のワーキングウーマンのはしりのような方です。亡くなられる少し前に、お住まいだった帝国ホテルのお部屋にうかがってご挨拶しました。岩谷さんの日記や当時の資料、関係者への取材などのインプット期間を経て、文学少女の岩谷さんが動きだし、戦前の宝塚の風景が浮かび、コーちゃん(越路吹雪(こしじふぶき))と話したことを聞いていたかのように書けるだけのスイッチが入るまでに、ムズムズと苦しみました(笑)」
岩谷時子といえば、ザ・ピーナッツの『恋のバカンス』、加山雄三の『君といつまでも』のドラマティックな歌詞が思い出されるが、出発点は海外ポップスの訳詞。代表作は越路吹雪の『愛の讃歌』、そして『ラストダンスは私に』。元は東宝の社員であり、越路吹雪のマネージャーでもあった。遡れば、宝塚歌劇の文芸出版部に在籍し、雑誌『歌劇』や『宝塚グラフ』を担当する編集者だった。宝塚時代のやんちゃな越路吹雪を戦前から支え、スターになりシャンソンを唄いたがった彼女のために寝ないで訳詞をした。
「あのコーちゃんを預かって、男性中心の社会の中で世の権力と戦いながら、しなやかに立ち回っていらした。増えていく作詞の仕事、そこに母親の介護も加わって、男並みに仕事をしながら遊びはなし。慎ましい人です」
才能に恋ができたのは、愛することの孤独を引き受けたから。
岩谷時子の日記には、生身の恋愛の記録はひとつも残されていない、と村岡さんは言う。ただ、スターになる前の加山雄三の曲に詞を乗せて感じた連帯感、50歳を過ぎた岩谷時子の前に現れた美しき坂東玉三郎との親交、生涯を通しての友情の前に生き急いだ越路吹雪の喪失。これらはすべて、彼らの才能に恋をして身を捧げた、ひとりの女性のラブストーリーと言えます、とも。
「岩谷さんって、とても孤独な人だと思うんです。たくさん愛したけれども、人を本当に愛することの厳しさを知って、その孤独をすべて引き受けた。覚悟の上での孤独は、独立を貫いたからこそ愛せた、という豊かさでもあって。選ばれし者の厳しくも豊かな孤独、美しい孤独だと思うんです」
「当時の岩谷さんに実際に会った人は、岩谷さんの穏やかさの中に、ただならぬ強さと深さを感じたに違いありません」。村岡さんのこの言葉に、文章を書くことだけが生きる希望だった第1章・少女時代の岩谷時子の、恥ずかしそうな笑顔が浮かんだ。
『クロワッサン』1008号より
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