『いかれころ』著者、三国美千子さんインタビュー。「郷里への矛盾する気持ちが原動力に」
撮影・黒川ひろみ(本) 谷 尚樹(著者)
時は昭和58年、主人公は4歳児の奈々子(なこちゃん)、舞台は大阪の南河内(みなみかわち)という設定である。
母の久美子は在所に代々続く農家の実家から分家を建ててもらいそこに夫婦で住まう。夫の隆史は婿養子。本家の叔父、叔母、祖父や祖母、さらには曾祖母や近隣の親戚筋と、なこちゃんはたくさんの大人に囲まれながら生きている。
三国美千子さん自身、南河内の出身である。26歳まで暮らしていた。
「郷里については、愛着と否定的な感情がたぎるようにあって、その矛盾がこの作品を書いた原動力になっているかもしれません」
主人公に4歳の女の子を据えたのは?
「大人たちの込み入った事情も、カメラのレンズのように透明な目で見ることができるのではないか、という思いを託しました」
それぞれの事情を背負い、思惑を抱えながら動く大人たち。物語を紡いでいるのはそこから30数年後の視点であるが、それでも、〈私は何もかも知っていた〉と、幼いなこちゃんに独白させる。
いかれころを取り囲む、南河内の自然。
意味のわからない大人の言葉。アカ、シセイジ、サベツ、セイシン……意味はわからなくとも言葉は伝わる。言葉とはそういうもの。
「幼児の目で捉えているときには確かにわからない。けれども、後年、言葉を獲得したときに自分の見聞きしたことを再構築できる。言葉にはそういう力がある」
なこちゃんは久美子の妹、叔母の志保子を慕う。本家の離れから志保子が出てくると、家全体がはりつめる。彼女は何をするにも黒いかごが手放せない。彼女はセイシンの発作を起こしたことがある。
「ある意味、なこちゃんは母親から粗末にされている。志保子はそんな姪っ子を掛け値なしに大事にする、というピュアな関係性です」
ふとした瞬間に久美子はこんなことを子どもの耳に囁く。
〈ママにはパパとちがう別の人がおったんよ。でも名前変わって養子になられへん人やったんよ〉
大人たちが声をひそめて使う言葉にまとわりつく、あのうっすらした黒い影。“養子”も同じだ。
25歳になろうとする志保子に、本家の世間体を取り繕うように縁談が持ちかけられる。物語はその成否が軸ともなる。
夫婦で罵りあう久美子と隆史、その婿養子を〈すか〉だったと断じる祖父の末松、大学に通わず根なし草のように生きる叔父の幸明……思いどおりにはいかない人生、それでも、〈家族同士のいがみ合いをよそに桜ヶ丘の庭は春夏秋冬、毎年花が咲いて実った〉の記述どおり、作中に描かれる山々の景色、草花に注がれる眼差しが美しい。桜、日本水仙、わびすけ、金柑、サンザシ、万年青(おもと)、鶏頭(けいとう)……。
「いかれころとは河内弁で“踏んだり蹴ったり”といった意味です」
誰にも避けて通れないそのいかれころが、やがて人間の生の当たり前の営みにも思えてくる。その読後感が不思議な小説だ。
『クロワッサン』1005号より