【白央篤司が聞く「自分でお茶を淹れて、飲む」vol.9】山田英季(フードディレクター)「茶の香りがするのはごく小さな範囲。その中にいると、なんというか、守られている感じがする」
取材/撮影/文・白央篤司 編集・アライユキコ
植物の間に座ってお茶を飲む
十月の終わりに、山田英季さん宅を訪ねた。リビングに通してもらえば、素敵なインテリアの合間合間に観葉植物がいっぱい。緑の部屋、なんて言葉が瞬間的に浮かぶ。いや、まるで植物が部屋の主役で、その合間に人間のものが置かれているような。
「これでも減らしたんですよ、いちばん多いときで120鉢ぐらいあったかな(笑)。今は50鉢ぐらい」
観葉植物は私も好きだが、水やりをはじめ丁寧に管理するのはなかなか大変だ。特に近年の激暑を無事に乗り切るのはむずかしい。しかしこの部屋の鉢はどれもいきいきとして健康そう、日ごろの丹精がうかがえる。仕事がひと区切りしたとき、植物の間に座ってお茶を飲むのが息抜きになると山田さんは笑顔で言った。
「お茶は小さい頃から好きでしたね」
どんなお茶が好きだったかと問えば、「母が作って常備してた、はとむぎ茶」が真っ先に挙がった。両親はお酒をあまり飲まず、夕飯後に紅茶を淹れることもよくあったそう。
独立したのは早く、18歳のときにはひとり暮らしで働いていた。そのときにも急須は棚にあった。
「ごく普通の、よくあるような急須でしたけどね。茶葉にこだわるとかもなくて。冬場はリプトンの紅茶をよく飲んでいたなあ」
今、飲むのは緑茶が多い。数年前に日本茶専門店とのつきあいが出来たのがきっかけだった。
「共通の友人がいることでご縁ができて。お茶会でのお菓子や、緑茶とのマリアージュを考えた料理を作る機会もいただきました」
仕事を通じて、緑茶のおいしさにハマっていく。しかし山田さん、緑茶に合わせたお茶菓子や料理ってどんなものを作られたのだろう。
「シャインマスカットをのせたチーズタルトとか、黒こしょうとグリーンオリーブ入りのいなり寿司とか。緑茶によってはフレッシュチーズなんてよく合うんですよ」
未体験の味の世界を想像して、メモを取りながらワクワクする。お願いして、日常的によく飲んでいるお茶を淹れてもらった。
愛飲しているのは日本茶専門店「魚がし銘茶」の「うぬぼれ」。「後味がすっきり、清涼感のあるところが好きなんです。レモンを添えることも」
確かに香りもやさしくすっきりとして、ほのかなうま味も心地いいお茶だった。
「スイッチの切り替え」にお茶が役立っている
山田さんの仕事は食を軸にして幅広い。料理家として活動を始め、現在はレストランのプロデュースやメニュー開発を手掛けることが多くなっている。また食品会社のイベントディレクションや、コマーシャルの料理などを手掛けることも。(詳しい情報はこちら)。
「それぞれの仕事に関して、なんとなく一日中あれこれと考えているわけです。料理雑誌のメニューを考えるときと、プロデュース方面のことを考えるときって、やっぱり使う頭の部分が違うというか。ある仕事がひと区切りついて、別の方向性の仕事にシフトするときには必ずお茶を淹れますね」
いわば「スイッチの切り替え」にお茶が役立っている。
「お湯を沸かして、茶の匂いを嗅いで、うつわを眺める。淹れると茶の香りが漂いますよね、その中にいるのが心地いい。茶の香りがするのなんて、ごく小さな範囲じゃないですか。その小さい中にいるのがとてもパーソナルな感じがしていいんです。なんというか、守られている感じがする」
茶の香りに守られる、という言葉の響きが聞いていてなんとも快かった。旅に出るときは、好きな緑茶をよく携帯している。リラックスしたいとき、なじみの茶を淹れることで「一瞬にして自宅にいるパーソナルな感じに戻れる」のがいいんです、と。
山田さんは大の旅好きで、各地を訪ねては蚤の市や料理道具店をチェックして回っている。茶器を買うことも多く、愛用の急須は「ベトナムに移住したフランスの作家さんのもの」で、触った感じのなめらかさが心に残った。手のうちに絶妙におさまる湯呑みは「タイの東北地方、チェンライで作られたもの。買ったのはバンコクの「cone number 9」という、うつわも買えるカフェ」と教えてくれた。チェンライはうつわ作りで有名なエリアがあるのだそう。旅先で見つけたものの話になると山田さん、話の勢いが増す。聞いているうち、どんどん旅情に駆られてくる。
「旅が好きなのはもちろんなんですが……結局は多動なんですよ(笑)。ひとつ所にいるのが苦手で。だからね、このリビング内でもあちこちに移動してはお茶を飲んでる。それがいいんです」
部屋の中にはダイニングテーブル、ソファ、ベンチ、デスク、いくつかの椅子が置かれて、言われてみればなるほど、座ってくつろげるスポットが多い。それらの間に枝茎を伸ばすさまざまな植物が異なる葉影を部屋に落として、見える景色も多様である。
いくつかの場所に座らせてもらったら、茂みによってやさしく入る光の感じに心が和んだ。茶器の手ざわりと温かさも相まって、取材をしばし忘れてリラックスしてしまう……。これが、山田さんの日常か。
“誰かの365日をちょっと楽しくしてあげられるような店”を
これからの夢、なんてことをちょっと聞いてみたくなった。
「うーーん。いつかね、グローサリーをやってみたいんですよ。小ぢんまりしたお店でいいから。でも食品だけでなく、ショッピングバッグやうつわも置きたいし、スタンディングで飲める一角もできたら作るかもしれない。“誰かの365日をちょっと楽しくしてあげられるような店”というのを開きたくて。ちょっとしたギフトが選びやすいような。ブーケとおいしいお惣菜のセットなんてあったらね、いいと思うんだよなあ」
聞いていてまた、ワクワクしてきた。完成のあかつきには近くに引っ越したい、なんて思ってしまう。そしてそのグローサリーにはどんなお茶が並ぶのだろうか。世界から集めてきた茶器もきっと、並ぶに違いない。